岡田茉莉子に子供がいない理由は整形を回避するため!夫吉田喜重との二人三脚が凄い

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出典:nhk.or.jp

今回は、女優の岡田茉莉子さんについてご紹介します。

岡田茉莉子さんとで映画監督の吉田喜重さんの間に子供はいないのですが、その理由は整形を回避するためだったとか。常人離れした感覚と、夫吉田喜重さんとの二人三脚が凄いと話題になっていました。

岡田茉莉子に子供がいない理由は整形を回避するためだった

出典:jisin.jp

岡田茉莉子さんと映画監督の吉田喜重さんとの間には子供はいません。息子がいるとの噂も出回っていますが、実際には息子さんも娘さんもいらっしゃいません。

岡田茉莉子さんに子供がいないのは、できなかったのではなく、敢えて作ろうとしなかったからです。岡田茉莉子さんが子供を作ろうとしなかったのは、子供を妊娠し出産すると、整形をしなければならなくなるためでした。

岡田茉莉子さんが吉田喜重さんと結婚した当時は、周囲に結婚している女優さんはいたものの、ほとんどの人には子供がいない状態でした。当時は子供を作ると、体力や気力を使い果たしてしまい、肉体的に衰えが激しくなってしまい、女優としての寿命が短くなるという噂がまことしやかにささやかれていました。

医学的にも生物学的にも全く根拠のない情報ではありましたが、岡田茉莉子さんが活躍する俳優界では、少しでも若々しくて美しい人がキャスティングされるという世界でしたので、妊娠出産を経験すると女優業にマイナスの影響が出る可能性が高いとの噂を信じざるを得なかったのでしょう。

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岡田茉莉子と夫吉田喜重との二人三脚が凄い

出典:tv-asahi.co.jp

岡田茉莉子さんの旦那さんは、映画監督の吉田喜重さんなのですが、結婚してからの二人三脚ぶりが凄かったと話題になっていました。

岡田茉莉子と夫吉田喜重の馴れ初めは撮影現場

出典:cinemaclassics.jp

岡田茉莉子さんと吉田喜重さんの出会いは、1962年に公開された映画『秋津温泉』でした。

吉田喜重さんは東京大学仏文科を卒業した後、松竹に入社し、27歳という若さで1960年に公開された長編映画『ろくでなし』で脚本・監督デビューしたばかりだったのですが、岡田茉莉子さんは既に吉田喜重さんの脚本を読み、底知れない才能が出てきた!と感嘆していたそうです。

いてもたってもいられなくなった岡田茉莉子さんは、早速吉田喜重さんに対して映画出演のオファーをしたのですが、自分はオリジナルの映画でしかキャスティングはしないという理由で断られてしまいました。

それでも諦めがつかなかった岡田茉莉子さんは、心折れずに2度3度とお願いし続け、最終的には『秋津温泉』で岡田茉莉子さんをキャスティングするということで話がまとまりました。

出典:ovninavi.com

『秋津温泉』の撮影中に、女性週刊誌『女性自身』が、

『岡田茉莉子、吉田喜重と結婚を決意!』とのスクープを打ち、ロケ地の温泉郷に報道陣が押し寄せてきて、撮影に支障が生じたため、松竹も岡田茉莉子さんも吉田喜重さんも憤慨していました。

撮影が進行している最中は、映画を完成させ成功させるこしか頭になかったため、吉田喜重さんと1対1で語り合う機会は一切ありませんでした。

そんな折に女性自身によるスクープが世に出回ったことから、記事が世に出回ったことをきっかけにお互いを意識するようになりました。

出会った当時の吉田喜重さんの印象について岡田茉莉子さんは、驚くほど博識で、自分が分からないことを聞くと何でも教えてくれるその頭脳の明晰さに、これまでに経験したことがないほどの頼もしさを感じたそうです。

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『秋津温泉』は数々の映画賞を受賞するほどの大成功を収め、その後は1対1でお互いに時間を作って会うようになり、プライベートな会話をするようになっていきました。

プロポーズの言葉は吉田喜重さんからで、これからも一緒に映画を作りながらともに歩んで行こうという内容でした。

岡田茉莉子と夫吉田喜重が西ドイツで結婚式を挙げた後に事件が勃発

出典:mainichi.jp

1964年6月21日に、師匠である木下惠介監督立ち会いの下、ドイツ(当時は西ドイツ)で結婚式を挙げ、新婚旅行から帰国した早々に事件が勃発しました。

吉田喜重さんが結婚式の直前に監督した映画『日本脱出』のラストシーンが、監督の確認を経ずに無断でカットされていたことに憤慨し松竹に対して抗議を行ったのです。

結局その抗議は聞き入れられず、吉田喜重さんは、自分の撮りたい作品を撮るためには独立するしかないと決意し、長らく在籍してきた松竹を退社し、夫婦で独立プロダクションである『現代映画社』を立ち上げました。

岡田茉莉子さんが松竹を辞めることを会社の人間に伝えた際、何度か引き留めに遭ったそうですが、松竹を辞めて吉田喜重さんに付いていくことに迷いは一切ありませんでした。

吉田喜重さんの作品はどれも時代を先取りし過ぎているため、撮影さえしておけばいつかは時代が追いつき、作品が多くの人に受け入れられるだろうと確信していたそうです。

出典:kotakudo.exblog.jp

岡田茉莉子さんは吉田喜重さんを支えるために、現代映画社が生み出した作品以外の作品にもこぞって出演していました。

岡田茉莉子さんが他社の映画やドラマに出演し得たギャラを、次の現代映画社の製作費に充てるというやりくりをしていたため、現代映画社は設立以降無借金経営を継続させることができていました。この経験は岡田茉莉子さんにとっての誇りとなっているそうです。

岡田茉莉子の夫吉田喜重が死去

出典:mainichi.jp

2022年12月8日に、東京都渋谷区内にある病院で肺炎のために亡くなられました。享年89歳でした。

吉田喜重さんがお亡くなりになって以降、岡田茉莉子さんは、応接間のリビングに置かれた遺骨に対して、毎日「おはよう」と「ただいま」と語りかけ、1日の間に起きた出来事や仕事の様子を伝えています。

岡田茉莉子が今後再婚する可能性

出典:bs-asahi.co.jp

岡田茉莉子さんは1933年1月11日生まれで、2024年時点での年齢は91歳です。

90代という年齢を考慮してもそうですし、何よりも若い頃から吉田喜重さんとともに人生を歩んできた誇りと自負がありますので、今後岡田茉莉子さんが再婚する可能性は極めて低いものと考えられます。

岡田茉莉子は現在もスポーツジム通いで現役バリバリ

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岡田茉莉子さんは90歳を過ぎた今でも、およそ30年間通っているスポーツジムに週に3日のペースで通い続けていて、エアロビクスやジャズダンスをしています。もちろん器具を使ったトレーニングやストレッチも欠かさずに行っていることから、年齢からは想像もつかない美貌を維持し続けています。

若さの秘訣はストレスを溜めないこととと、規則正しい生活だと語る岡田茉莉子さん。今でも毎日毎日3食を手作りしているということです。

今後も益々お元気で、いつまでも長生きしていただきたいと思います。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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