出典:sankei.com
今回は、落語家の桂文枝さんについてご紹介します。
紫艶さんとの不倫が明るみになりながらも、桂文枝さんが嫁・高橋真由美さんと離婚しなかった理由は何なのでしょうか?嫁は不倫を黙認していたとも言われていますが、果たして?!
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桂文枝が嫁高橋真由美と離婚しなかった理由が感動的!不倫相手の紫艶とは別れていた?
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2021年1月24日に、出会ってから52年連れ沿った嫁の高橋真由美さんが亡くなりました。
結婚してからずっと、家のことはすべて高橋真由美さんに任せっきりだったようで、子育てと家事はもちろんのこと、桂文枝さんが仕事で使う着物や手ぬぐいの管理やお弟子さんの世話、経理に至るまでありとあらゆることを全て任されていました。
また、桂文枝さんの真骨頂と言える創作落語に対しても、ほぼ全ての作品に対するアドバイスをしていたことから、桂文枝さんが上方落語界の重鎮に成りえたのは高橋真由美さんのおかげであることは間違いありません。
桂文枝さんにとってはなくてはならない存在である高橋真由美さんを妻に持ちながら、別の女性と不倫関係にあったのも事実です。
お相手の女性の名前は紫艶さんです。桂文枝さんが紫艶さんと不倫関係にあったことがスクープされて以降、様々な場面で桂文枝さんに対して批判的な声が上がったり、嫁と離婚するのではないかとの声が上がっていましたが、桂文枝さんが離婚していないのはなぜなのでしょうか。
桂文枝さんの不倫が明らかになったのは2016年2月19日のことでした。写真週刊誌『フライデー(3月4日号)』で、34歳年下の元演歌歌手である紫艶(しえん)さんとの2ショット写真が掲載されたのです。
記事の中には紫艶さん自らの暴露話が掲載され、世間を賑わせました。
桂文枝さんとの関係は、紫艶さんが18歳の頃から約20年間続いていることや、大阪・梅田にある桂文枝さんのマンションや、桂文枝さんが定宿としているホテルニューオータニで密会を重ねていたことが赤裸々に語られていました。
この記事が出たことに対して桂文枝さんは2016年3月21日に各社メディアに対して、紫艶さんの告白内容は事実と大きく隔たりがあることを告白しました。
・不倫関係が約20年間続いているというのは嘘
・紫艶さんと最後に会ったのは2年前の2014年に行われた東京落語会
・2002年から2014年までずっと会っていなかった
桂文枝さんと紫艶さんが出会ったのは1996年のことで、吉本興業の幹部(後に吉本興業幹部となる林裕章氏)に紫艶さんを紹介されたそうです。
その後2000年に桂文枝さんが紫艶さんの名付け親になるなど、主に仕事面を中心に紫艶さんを支援していました。桂文枝さんとしては、紫艶さんが自分の子供(桂文枝さんには2人の娘さんがいます)と歳が近かったこともあり、自分の娘に接するときと同じような感覚でいたそうです。
写真週刊誌フラーデーに掲載された写真については、15年ほど前に2人っきりではなく複数人で和歌山旅行をした際の写真だったと説明していました。
そして最後に桂文枝さんは紫艶さんに対してこのように語っていました。
こういうことをする子ではなかったので、追い込まれているのではないかと大変心配しております。
一方の紫艶さんは、桂文枝さんの告白があった翌日の2016年3月22日に放送された情報番組『羽鳥慎一モーニングショー』で、桂文枝さんとのプライベート写真が公になってしまったことに対しては申し訳ないという気持ちを伝えつつも、桂文枝さんとは恋人関係であることを再度強調していました。
出典:twitter.com
桂文枝さんからは毎月20万円ものお金を愛人手当として受け取っていたことを認めたものの、お金ではなく桂文枝さんと長い年月を共に過ごしたという事実を世に残したいとの思いから、今回の告白に至ったそうです。
この後も紫艶さんによる暴露はどんどんとエスカレート(桂文枝さんとのLINEでの生々しいやり取りや、桂文枝さんの全裸写真をアップしたり・・・)していきましたが、ある日突然、事態は収束を迎えます。
上方落語協会の関係者によると、桂文枝さんは何年も前に紫艶さんに対して数千万円にも上るお金を手切れ金として支払っていたそうで、今回の騒動は紫艶さんのお金目当ての裏切りだったのではないかということです。
そして事態は急展開を見せます。2019年3月に、紫艶さんが自宅マンションで孤独死していたことが判明しました。死因は病死だったということです。
紫艶さんの訃報に対して桂文枝さんは何も語ることはありませんでした。
紫艶さんとの一件を経ても、桂文枝さんが今もなお奥さんと離婚していないのは、嫁である高橋真由美さんに対して感謝してもしきれない気持ちがあるからだと考えられます。
桂文枝さんには実母がいた(2021年1月25日に亡くなっています)のですが、その母親を介護施設に入所させるまでは、実母の介護をほぼすべて嫁の高橋真由美さんに任せっきりでした。
介護する側がね、疲れすぎてしまってはいけない。根詰めすぎて、密室状態になるのも、よくないでしょう。
引用:jisin.jp
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長らく実母の介護に奔走してくれた妻に対して、これからはゆっくりと自分の時間を過ごしてもらいたい、好きなことに時間を費やしてもらいたいという気持ちがあり、できればそこに自分も寄り添いたいというふうに考えていたものと思われます。
桂文枝の嫁高橋真由美は不倫を黙認していた?!
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桂文枝さんの紫艶さんとの一件について、嫁の高橋真由美さんは桂文枝さんに対して一言ビシッとお灸をすえたそうです。
捨てられて落ち目になった2号の復讐に『あんたは脇が甘いからや』
と言っちゃう桂文枝嫁の強さな!
嫁がいいならそれでヨシ。— @うさぎ (@tomotomonn1) February 21, 2016
どうやら桂文枝さんの奥さんは、直接面識こそないものの、紫艶さんの存在を昔から知っていたようで、桂文枝さんからも詳細を聞かされていたようです。
旦那が芸事に通じる職業に従事している以上は、旦那に女性の影がちらついても動じないのが芸人の嫁たる所以です。
桂文枝の嫁だったらここで離婚して慰謝料ふんだくって生きてくな
— がべ (@gabe560) February 21, 2016
Twitter上では手厳しい声も上がっていますが、紫艶さんの一件に対しては夫婦二人三脚で乗り越えたと言ってよさそうです。
桂文枝に新たな不倫が発覚し、ついに嫁高橋真由美が離婚を決意
紫艶さんとの件は、奥さんと一緒に二人三脚で乗り越えた桂文枝さんですが、またしても女性の影が!
お相手の女性は夏目恵美子さん(仮名)で、桂文枝さんと出会ったのは2008年のことで、大阪の南森町にある演芸場「天満天神繁昌亭」を、夏目恵美子さんが訪れたことがきっかけでした。
繁昌亭の横にある喫茶店(繁昌亭で高座に上がる話し家がこよなく愛するお店)で夏目恵美子さんがコーヒーを飲んでいたところに桂文枝さんが入店し、気軽に写真撮影に応じてくれたことが最初の出会いでした。
一緒に撮影した写真をメールで送りたいからということでお互いに連絡先を交換し、その後また夏目恵美子さんが繁昌亭を訪れた際には、桂文枝さん直々に上方落語協会会長室に通されたそうです。
緊張した夏目恵美子さんでしたが、優しく手を取ってエスコートしてくれたことで徐々に気を許すようになっていき、いつしか桂文枝さんが夏目恵美子さんの家に通う間柄になっていきました。
「文枝さんがやって来るとマッサージしてあげて、添い寝をしてキスをするんです。この頃から彼は“将来は一緒に住んで、俺の介護をしてほしい”と言うようになっていました。“最期ぐらいは恵美子がいいんだ”とも話してくれて、私も夢見心地になっていました」
ですが、一歩引いて冷静になって考えてみたところ、やはり(一般人である高橋真由美さんが桂文枝さんの奥さんを略奪して妻になることなど)あり得ない、私はただただ無料で相手をしてくれる愛人にすぎなかったのだと悟った高橋真由美さんは、自ら桂文枝さんの前から姿を消しました。
桂文枝さんは夏目恵美子さんとの件について、マスコミ記者に対して、「もちろんこっぴどく怒られた」とだけ語っていましたが、果たして今回は?!
桂文枝の人間国宝への道は閉ざされたな。
色狂いでは品格が足りまへんな。
— マトヤス (@yasuhito777) December 26, 2017
かつての紫艶さんの件と言い今回の高橋真由美さんの件と言い、女性関係のトラブルで人間国宝認定の話が帳消しになってしまった可能性が高いことから、さすがに今回ばかりは奥さんの堪忍袋の緒が切れたのではないかと囁かれていました。
ですが一方で、高橋真由美さんが亡くなる3年ほど前からは、桂文枝さんが一人で暮らしていた大阪市内にあるマンションに高橋真由美さんを呼び寄せ、夫婦水入らずで暮らしていたという情報もあります。
コロナ禍でほとんどの公演がキャンセルになり、仕事がない日々が続いたことから、夫婦2人の時間が増えたため、高橋真由美さんに活気が戻ったとも言われていました。
桂文枝の嫁高橋真由美が死去
晩年になってやっと夫婦水入らずの時間を取れるようになってきた矢先の2021年1月24日に、高橋真由美さんが癌のため死去しました。67歳という若さでした。
髙橋真由美さんは何よりも贅沢を嫌い、困っている人がいたらその人に対してとことん親切にするという超が付くほど真面目な人でした。
創作落語という独自の道を切り開き、上方落語の最前線で活躍してきた桂文枝さんの個人事務所社長として、帳簿付けから着物の管理など事務所運営の業務全般を担いつつ、家庭では子供の教育や家事に精を出すなど、桂文枝さんのことを陰で支えてきました。
桂文枝さんの母親である治子さんが介護施設に入所してからも、高橋真由美さんは治子さんの大好物であるみかんを買ってたびたび介護施設を訪問していました。
亡くなる前日の2021年1月23日には、桂文枝さんに対して小さな声で『ごめんねぇ』と声をかけてきた高橋真由美さんは、出逢ったときのままでとても美しかったと桂文枝さんが語っていました。
数々の苦難を乗り越え、いよいよこれから夫婦2人で晩年を迎えようという時期だっただけに、桂文枝さんは相当ショックだったに違いありません。元々は赤の他人だった2人が同じ方向を向かって歩いていくということの難しさを感じざるを得ないですね。高橋真由美さんとお母様のご冥福をお祈りいたします。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。