岸部一徳の若い頃の画像がイケメン!まるで高橋一生のような画像あり

Pocket

出典:news.biglobe.ne.jp

今回は、俳優の岸部一徳さんについてご紹介します。

岸部一徳さんといえば、コミカルな役からシリアスな役まで幅広い役柄を演じることができる名脇役ですが、若い頃の画像がイケメンであり、高橋一生さんに似ているとのことです。嫁や息子についての詳細と合わせてご紹介しています。

岸部一徳の若い頃の画像がイケメン

出典:Instagrammer News

名バイプレーヤーとして名高い岸部一徳さん。今でも十分にダンディーなのですが、若い頃はイケメンで今とは違った雰囲気だったそうです。

岸部一徳さんの若い頃の画像をご紹介する前に、岸部一徳さんのプロフィールをご紹介します。

本名:岸部 修三(きしべ しゅうぞう)
別名義:岸部 修三(きしべ おさみ)、岸部 おさみ
生年月日:1947年1月9日
出身地:京都府京都市
学歴:京都市立伏見工業高等学校建築科卒業
身長:181cm
血液型:A型
職業:俳優、ミュージシャン、ベーシスト
ジャンル:テレビドラマ、映画
活動期間:1967年~
活動内容
1967年:ザ・タイガースとしてデビュー
1971年:ザ・タイガース解散、PYG結成
1975年:俳優に転身
配偶者:あり
著名な家族:岸部四郎(弟)、岸部大輔(息子)
所属事務所:アン・ヌフ

引用元:wikipedia.org

スポンサードリンク

出身高校である伏見工業高等学校は、TBSで放送されたドラマ「スクール☆ウォーズ」のモデルとなったラグビー部があることで有名で、平尾誠二さんや大八木淳史さんなど、日本を代表するラグビー選手を輩出した全国屈指の強豪校です。

岸部一徳さんは、ラグビー部には所属していませんでしたが、質実剛健をスローガンにして学業だけではなく、運動にも力を入れていました。工業高校の建築科に進学したということは、何かモノ作りがしたかったのでしょうか。

さて、その伏見工業高等学校在学中に、岸部一徳さんの人生で最大のターニングポイントを迎えます。

岸部一徳さんと瞳みのるさんは、京都市立北野中学校時代の同級生で、中学校だけではなくアルバイト先(牛乳配達)も同じだったため、いつも一緒にいる仲の良い友人同士でした。しかし、その後進学した高校が違ったため、高校入学後はお互いに会うこともありませんでした。

高校2年生になったとき、ふとしたきっかけで、岸部一徳さんと瞳みのるさんが京都の四条河原町(京都市内で最も有名な繁華街)で会うことがありました。そしてそれ以降は、岸部一徳さんと瞳みのるさんに加えて、森本太郎さんと加橋かつみさんの4人で遊ぶようになりました。

1965年には、岸部一徳さん、瞳みのるさん、森本太郎さん、加橋かつみさんの4人でバンド「サリーとプレイボーイズ」が結成されまた。後にザ・タイガースとなるバンドです。

サリーとプレイボーイズというバンド名のサリーは、岸部一徳さんのあだ名です。リトル・リチャードの曲である『のっぽのサリー』に掛かっているようです。

この頃の岸部一徳さんの画像を見ると、イケメンという言葉も当てはまるかと思いますが、可愛いといった印象を受けました。

岸部一徳さんはバンド創設当初からベースを担当していました。

そしてその後、1966年にはボーカルに沢田研二さんを加えてバンド名を「ファニーズ」と改称、京都や大阪で高い人気を得ていき、ファニーズの名前は瞬く間に知れ渡りました。1966年11月に上京し、グループ名を「ザ・タイガース」に変更。

それ以降は岸部一徳さんがリーダーの座を瞳みのるさんから引き継ぎ、岸部一徳さんのアーティスト人生の絶頂期に入ります。

ザ・タイガースのリーダーでもあり、ベーシストとしての腕前は折り紙付きで、多方面から岸部一徳さんを引き抜こうとする動きもありました。

岸部一徳の若い頃が高橋一生に似ている

岸部一徳さんの若い頃が、高橋一生さんに似ているとの声が多数上がっています。高橋一生ファンからすれば「は?!」という反応なのかもしれませんが、画像を見比べてみると、確かに雰囲気が似ている気がします。

目の離れ具合や面長なところが似ているだけではなく、顎の辺りの骨格が似ているからでしょうか、声の質もどことなく同じように感じるのは私だけでしょうか。

岸部一徳の若い頃の画像が医龍で放送され話題に

岸部一徳さんは、フジテレビ系で放送されていたドラマ『医龍』に野口教授役として出演していましたが、その野口教授の若い頃の回想シーンで、岸部一徳さんの若い頃(?)と思われる映像が紹介されました。

上のTwitterコメントにもある通り、岸部一徳さんの若い頃を演じていたのは、岸部一徳さんの息子である岸部大輔さんです。

”血は争えない”とはこのことなのでしょうか。それにしても、岸部一徳さんのDNA強すぎます・・・笑

スポンサードリンク

岸部一徳が若い頃に結婚した嫁はトラブルメイカー

ミュージシャンとして絶頂期を迎えていた岸部一徳さんでしたが、ひょんなことから、俳優の仕事が舞い込んできます。

1975年に、プロヂューサーの久世光彦さんの推薦を受けて『悪魔のようなあいつ』に出演して以降、本格的に俳優活動を開始しました。

そしてちょうどその頃、六本木のバーである女性と出会います。その女性は一般人で、その後交際がスタートし、そのまま結婚しました。

一般人女性ということで、名前や年齢、画像等の情報は見当たらないのですが、調べてみると岸部一徳さんの奥様トラブルメイカーのようです。

2013年11月7日のNEWSポストセブンによると、岸部一徳さんの奥さんが近所トラブルで訴えられ、すでに裁判所からは賠償命令が下されたとのことです。

何とも穏やかではない様子ですが、事の詳細をまとめてみました。

・ある日、岸部史郎さんが暮らすマンションの来客用駐車スペースに、岸部一徳さんの嫁の車があった

・同じマンションに暮らす住民が、その車を移動させるようにお願いしたところ、岸部一徳さんの嫁は快諾

・しかし後日、その人の車に『シね!バカヤロー!』と書かれた貼り紙が多数貼られるようになった

・それ以降、顔を合わせるたびに「私はやってないわよ!」とキレるようになった

いったんは受け入れておきながら、後で態度を豹変させる・・・。かなり根に持つタイプなんでしょうか。

状況はどんどんエスカレートしていき、ついには裁判沙汰に発展してしまう事態になりました。

・貼り紙をされた人が、事態を改善するためにマンション駐車場付近で岸部一徳さんの嫁の帰りを待っていた

・帰ってきた岸部一徳さんの嫁に対して、「岸部さん、お話があります」と2回声をかけたが、姿に気付いておきながらも無視

・車をそのまま前進させたため、車のバンパーがその人の膝に激突

事態を収束させようとしてきた近所の住民に怪我をさせてしまい、最終的には訴えられ、23万円の賠償金を支払うことで決着がつきました。

とんでもないトラブルメイカーであることが判明しましたが、岸部一徳さんは、そんな奥様に対してどのように接しているのでしょうか。

調べてみると、これまた仰天エピソードが飛び出てきました。

「あそこの夫婦げんかはものすごいですよ。岸部さんが奥さんを外に放り出した時は、一晩中奥さんがドアを蹴飛ばしながら“開けろ、コノヤロー!シねー!”って怒鳴り散らしたり、そうかと思えば、夜中に岸部さんがマンションのゴミ捨て場の中でじっと隠れていたこともありました」

引用元:news-postseven.com

約10年前から別居状態にあるようですが、岸部一徳さん夫妻が離婚したという情報は一切出てきません。お互いに連れ添った期間が長いためでもあるでしょうが、離婚しない最も大きな理由はお金ではないでしょうか。

ドラマや映画等を数多くこなす岸部一徳さんの俳優業での収入は、少なくとも数千万円はあるかと思われます。奥様にとっては、岸部一徳さんの収入を蹴って別れるということはできないのでしょう。

ということで、岸部一徳さんの家族構成は、奥様と3人のお子さん(息子さんと娘さん)の5人家族です。

岸部一徳の息子・岸部大輔は現在ミュージシャン

岸部一徳さんには3人のお子さんがいますが、詳細が分かるのは岸部大輔さんについてです。

名前:岸部大輔(きしべだいすけ)
生年月日: 1979年6月26日
学歴:明星学園高校(東京都三鷹市)の合唱部
職業:ミュージシャン、俳優
所属:『パウンチホイール』でボーカル、ベース担当
結婚歴については調べましたが、有力な情報はありませんでした。

岸部一徳さんと同じく、ミュージシャンとして、しかもベーシストとして活躍しているんですね。

『パウンチホイール』というバンドで音楽活動をする傍ら、俳優業も並行して行っているようで、フジテレビで放送されたドラマ『医龍4』に出演したときのシーンが世間を賑わせました。

主演の坂口憲二さん演じる朝田龍太郎の宿敵が、岸部一徳さん演じる野口賢雄でした。その野口賢雄の若い頃を演じたのが岸部大輔さんでした。

岸部一徳さんの若い頃とそっくりで、ドラマが放送された2014年当時は、「岸部一徳の若い頃の映像を使ってるの?」「いつ撮影したの?」というふうに視聴者の間で盛り上がっていました。

確かに、「これは岸部一徳さんの20代の頃の画像です」と言われれば、何の疑いもなく信じてしまう方も多いのではないでしょうか。

そして、本業であるミュージシャンとしての活動についてですが、自身が所属するパウンチホイール以外にも、2007年頃からadvantage Lucyにサポートメンバーとして参加しているようです。

サポートメンバーのオファーがあるということは、それだけベーシストとしての腕を買われているということです。父親の岸部一徳さんと同じ道を歩んでいる岸部大輔さんの活躍が楽しみです。

岸部一徳が体調不良で病院に入院

2018年5月16日に、体調不良を訴えて緊急入院しました。入院した病院については、脳神経外科のある精密検査ができる都内の大きな病院ということで、日本大学医学部附属板橋病院、東京医科大学病院などの大学病院である可能性が高いです。

そして1週間後の5月23日に、無事に退院したことが発表されました。

岸部は事務所を通し、「このたび、頭痛がひどく検査を兼ね入院いたしましたが、昨日(23日)無事退院いたしました。6月には撮影に参加する予定です。ご心配をおかけしました」とコメントを寄せた。

引用元:sponichi.co.jp

そして、検査の結果はそれほど深刻な状態ではなかったようで、復帰に向けた準備をしているそうです。緊急入院と聞いてぞっとしましたが、無事に回復されて何よりです。

バイプレーヤーとして活躍した、いかりや長介さんと岸部一徳さんがオーバーラップするのは私だけでしょうか?独特の存在感で視聴者を引き込むところが似ている気がするのですが、それはともかく、岸部一徳さんは、日本の映画界・ドラマ界には欠かせない存在であることに間違いはありません。

いつまでもお元気で、体調にはくれぐれも気をつけて、末永く視聴者に名演技を披露し続けていただきたいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

スポンサードリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする