秋山博康の学歴は高卒だけど若い頃の経歴と階級が凄い!結婚や子供の詳細も

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出典:fujitv-view.jp

今回は、元警察官で犯罪評論家の秋山博康さんについてご紹介します。

秋山博康さんの学歴は高卒ですが、若い頃の経歴階級が凄いと話題になっています。結婚や子供の詳細についても詳しく調べてみました。

秋山博康の学歴は高卒だけど若い頃の経歴と階級が凄い

出典:topics.or.jp

1979年(昭和54年)に徳島県立川島高等学校を卒業した後、徳島県警に入庁しました。警察官の中には短大や4年生大学を卒業した後に警察に入庁する人もいますが、秋山博康さんは高校卒業後大学には進学せずにすぐに警察官になりました。

徳島県警察学校で10カ月間の初任科教養を受講し終えた後、約2年間は交番勤務などを通じて地域の人たちの安全な暮らしをサポートする業務を担っていました。そして23歳の時に凶悪犯罪や大事件を担当する徳島県警捜査一課に配属されました。

警察官の数は都道府県ごとに異なりますが、どの警察組織においても捜査一課は花形の部署であることは間違いなく、捜査一課への配属を希望し続けても任官されないことの方が多い部署です。

そんな花形部署である捜査一課に23歳という年齢で配属された秋山博康さんは、異例の出世を果たしたと言って間違いありません。

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捜査一課に配属されてからは数々の犯罪事件に対して非凡な才能を発揮し、そこでの活躍が評価され、警視庁捜査一課に出向しています。

出典:twitter.com

秋山博康さんがこれまで担当してきた事件は非常に多いのですが、中でも皆さんの記憶にも新しい大事件としては、オウム真理教事件(1980年代末期から1990年代中期)、ルーシーブラックマンさん事件(2000年)、世田谷一家殺害事件(2000年)、徳島・淡路父子放火殺人事件(2001年)などが挙げられます。

数々の難事件の捜査と解決に努めた後、2021年3月に定年退職しました。

元警察官でコメンテーターやコンサルタントとして活躍している人は大半が警察を途中で辞めていますが、秋山博康さんは定年退職するまできっちりと勤め上げました。

秋山博康さんが徳島県警を退職したときの階級は警部でした。警部は、警察本部の課長代理に相当し、警察署の課長職に当たる階級です。警部からが本格的な管理職と言われていて、現場に直接関わるのではなく、主に担当部署やチームを抱え、それらを指揮・統括する役割を担っています。

2021年3月に警察を定年退職した後は、犯罪コメンテーターや犯罪評論家として多方面で活動しています。またYouTubeで公式チャンネル(11時09分、現逮じゃ!)も開設していて、チャンネル内では警察官時代の経験や、これまで携わってきた事件について語ったり、日々起こる犯罪に対するコメントを配信しています。

秋山博康が刑事を志したのは10歳のとき

出典:news-postseven.com

秋山博康さんは子供の頃から、将来は街の(交番勤務で制服を着た)お巡りさんではなく、刑事になることを目標に警察官になったそうです。

刑事になろうと決意したのは何と10歳の頃でした。その当時、秋山博康さんの自宅に泥棒が押し入り、その泥棒を捕まえた刑事が放った言葉(「大丈夫!ワシが絶対に捕まえたるから安心しろ」)に感銘を受けたからでした。

元々秋山博康さんは自分自身を鍛錬することに長けていて、10歳の夏休みには極真空手の大山倍達の空手バカ一代を真似して、家から数キロ離れた山の中腹にある神社で小さなテントを張り一人っきりで山籠もり修業を敢行していました。

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毎朝5時に起床し坂道ダッシュをした後、神社の階段を何十往復もし、さらに正拳突きと蹴りを千本ずつ行うなど、とても小学4年生とは思えないような追い込みトレーニングを行っていました。ちなみに、蹴りの稽古用に鉄下駄を準備する用意周到ぶりで、そんなひたむきにトレーニングに励む秋山博康さんに対して、毎日父親がおにぎりを届けに来てくれたそうです。

山籠り修行を敢行したことを夏休みの宿題の1つである絵日記にしたためて学校に提出した際には、校長室に呼び出しをされ怒られてしまった秋山博康さんですが、この頃からすでに警察官としての素質があったことは確かです。

その後、徳島県立川島高等学校在学中の高校2年生の時には生徒会長を務め、学校をまとめる存在となっていました。高校2年生で生徒会長になったため、先輩や不良から目を付けられ絡まれることも増えたのですが、武道で培った型を見せて大声で一喝したことで、周囲を黙らせてしまったという伝説があります。

秋山博康の結婚や子供の詳細

出典:joqr.co.jp

秋山博康さんの家族について調べてみたところ、特にこれといった有力な情報は見つかりませんでした。長らく徳島県内に住み警察官として活動していましたが、定年退職をしたことを機に徳島から東京に引っ越しをしたことは明らかになっています。

その引っ越しを世間に発表した際に、”家族の同意を得て”という言葉がありましたので、秋山博康さんにご家族がいることは明らかです。ただ、子供がいるのかどうかや、一緒に東京へ移住したのかどうかまでは明らかになっていません。

年齢から考えるとお孫さんがいても決して不思議ではありませんが、この辺りのプライベートに関する情報に関しては、また何か新しい情報が入り次第、こちらのブログに追記していきたいと思います。

秋山博康の現在の活動内容

出典:moneypost.jp

秋山博康さんは2021年3月31日に42年間勤めた徳島県警を定年退職し、現在は大手芸能事務所であるホリプロに所属しています。

犯罪評論家兼コメンテーターとして数々の情報番組やニュース番組に出演する傍ら、防犯コンサルタントとして全国各地で講演活動を行ったり、ドラマ等の警察監修を務めたり、またタレント活動も行っています。

還暦を過ぎてもパワーがみなぎっている秋山博康さんですが、パワーの源は若い頃からずっと継続している筋トレとジョギングです。毎日腹筋と腕立て伏せを100回ずつこなし、更に10キロのジョギングをしているため、20歳の時と現在で体重が変わっていないようです。

秋山博康がリーゼントになった経緯

出典:ri-zento-deka.com

秋山博康さんと言えば何と言ってもリーゼントヘアが特徴的ですが、いつからリーゼントヘアになったのでしょうか。

元々秋山博康さんがリーゼントヘアに出会ったのは中学2年生のときでした。ラジオで矢沢永吉さんの歌を聴いたことで鳥肌が立ったそうです。歌声に魅了されて矢沢永吉さんのレコードを買いに行った際に、矢沢永吉さんのスタイルがリーゼントと革ジャンとジーパンであることを知り、それ以降は矢沢永吉さんに心酔しています。

ただ、通っていた中学校では校則が厳しかったため矢沢永吉さんのスタイルを真似することができず、高校生になってからリーゼントヘアを始めました。

高校を卒業して警察官になってからもずっとリーゼントヘアを貫いていたのですが、徳島県警の部内報である『捜査一課だより』には、出向者でふしだらな服装の者がいたと書かれてしまったこともありました。

リーゼント刑事として認識されることは良いことですが、必ずしも良い反応ばかりではありません。時には強烈に批判されたり諭されたりしたこともありますが、周囲の反応は一切きにせずリーゼントを貫き、それは今でも変わっていません。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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