今回は、女優の真行寺君枝さんについてご紹介します。
真行寺君枝さんはかつて、元ザ・テンプターズのドラマー大口広司さんと結婚していましたが、離婚しています。旦那さんとの離婚原因は大口広司さんが逮捕されたことだと言われているのですが、果たしてその詳細は!息子さんはミュージシャンの弦人で、現在も親子仲良しだそうです。親子仲良好の秘訣は何なのでしょうか。
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真行寺君枝の旦那は大口広司だった
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真行寺君枝さんは、1983年10月15日に、グループ・サウンズ、ザ・テンプターズのドラマーだった大口広司さんと結婚しました。結婚した当時の真行寺君枝さんの年齢は24歳、大口広司さんの年齢は32歳でした。
ザ・テンプターズは、ショーケンこと荻原健一さんが所属していたグループで、1960年代のグループ・サウンズブームを牽引したグループでした。
大口広司さんは音楽活動以外に俳優としても活動しており、岩井俊二監督や行定勲監督や園子温監督といった名だたる名名監督の作品で独特の存在感を発揮した俳優でもありました。
馴れ初めは失意の底にいるときだった
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真行寺君枝さんは大口広司さんと出会う前に、別の男性と同棲生活を送っていました。そのままその男性と結婚することを考えていた真行寺君枝さんでしたが、同棲相手の男性には奥さんがいて、その男性と結婚することができないことが判明し、真行寺君枝さんは失意の底に突き落とされてしまいます。
精神的に相当なダメージを負った状態で出会ったのが大口広司さんで、真行寺君枝さんの話を親身になって聞き、寄り添う姿勢に心を打たれて交際がスタートしました。
失意のどん底にいた自分を救ってくれた大口広司さんとの交際は順調に進み、あれよあれよという間に結婚することが決まり、1983年10月15日に結婚しました。
失意のどん底にいるときに出会い、最も落ち込んでいるときの姿を傍で見守ってくれていた良き理解者である大口広司さんとの幸せな結婚生活が続いていくのかに思われましたが、結婚した翌年の1984年に真行寺君枝さんを悲劇が襲います。
真行寺君枝と旦那大口広司の離婚原因は逮捕
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大口広司さんが大麻所持容疑で逮捕されてしまったのです。
警察の捜査が進み、最終的には執行猶予付きの有罪判決を受け、当時所属していた事務所を解雇されてしまいました。
窮地に立たされた真行寺君枝さんと大口広司さんは、再起を図るために共同で服飾会社(プラクティス・オブ・サイレンス)を立ち上げました。設立資金の一部は真行寺君枝さんが全財産を負担したのですが、設立から約5年後の1991年に共同経営者が銀行に不渡りを出してしまい、プラクティス・オブ・サイレンスは倒産を余儀なくされてしまいました。
共同経営者が不渡りを出してしまうという完全な不可抗力によって倒産を余儀なくされた大口広司さんでしたが、その後病魔にも襲われてしまいました。C型肝炎を患ってしまったのです。
その当時の様子を振り返りながら真行寺君枝さんは、会社設立のために全財産を投じてしまっていたため、その後の一家の生活を維持していくために女優業を再開させたと語っていました。
その当時は一人息子である弦人さん(1986年生まれ)が未就学児だったため、何かと子育てに手がかかる頃だったはずですが、生活を支えるために必死に働き続けました。
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生まれつき体力には自信があった真行寺君枝さんですが、精神的には相当なダメージを被っていたようで、精神的に疲れ果ててしまい、どうしようもないときには、家族がいる前で精神安定剤を大量に摂取し、その後44時間連続で眠り続けたこともありました。
今はオーバードーズ(薬物の過剰摂取)問題に敏感な世の中ですので、精神安定剤を処方する医療機関側からのコントロールが機能しますが、当時は今ほどにオーバードーズ問題が声高には叫ばれていませんでしたので、入手しようと思えば簡単に精神安定剤を大量に入手できたため、このようなトラブルが起きてしまいました。
大口広司さんの逮捕、共同で設立した服飾会社の倒産、大口広司さんの病気、迫り来る荒波に対して必死で抵抗し続けてきましたが、2001年には別居生活をスタートさせます。
別居生活中は、以前にも増して夫婦でのコミュニケーション量が激減し、物理的な距離が遠くなったことによって、夫婦間での心の距離も遠くなっていき、別居生活を始めてから約4年後の2005年6月に離婚しました。
ちなみに、大口広司さんは真行寺君枝さんと離婚した後、2005年に長らく交友関係にあった友人と再婚しました。
再婚してしばらくの間は元気に過ごしていた大口広司さんでしたが、2009年1月25日に肝臓がんのために逝去されました。
大口広司さんが亡くなる約1カ月前には、大口広司さんの再婚相手から真行寺君枝さんに連絡が入り、何度か病院を訪れて会話をすることができたそうです。
何度かお見舞いをする中で、大口広司さんは真行寺君枝さんに対して色々なことで迷惑をかけたことを謝り、真行寺君枝さんは大口広司さんに対して、辛いことばかりではなく楽しいこともあったと感謝の気持ちを伝えたそうです。
結婚していたときにはお互いに冷静になれない部分がありましたが、最終的にはお互いに全部とまではいかないものの、ある程度は蟠りを解消させることができたのではないかと考えられます。
真行寺君枝と旦那大口広司の息子はミュージシャンの弦人
真行寺君枝さんと大口広司さんの間には息子さんが1人います。1986年生まれで名前は弦人さんで、職業はミュージシャンです。
写真からも伝わってきますが、父親の大口広司さんに雰囲気が似ています。目と口は母親の真行寺君枝さん似でしょうか。
真行寺君枝さんのブログを拝見していると、現在は姉と息子と猫とともに、生まれ育った実家(東京都大田区)に住んでいるとのことですので、弦人さんは結婚していないということがわかります。
2022年5月5日のブログでは、子供は何歳になっても可愛いと綴っていたのがとても印象的でした。
真行寺君枝と息子弦人の親子仲良好の秘訣とは
真行寺君枝さんが姉と息子さんと一緒に暮らしている東京都大田区にある実家は、築50年の鉄筋の古家だそうで、子供の頃からの様々な家族との思い出が詰まった自宅です。
真行寺君枝さんは昔から料理が得意で、息子の弦人さんも、子供の頃から食べ慣れている真行寺君枝さんの手料理が大好きだそうです。
また、弦人さんが尾崎豊さんの大ファンで様々な楽曲を家で聞いているところを目撃し、その流れで真行寺君枝さんも尾崎豊さんのファンになったとか。
親子で同じアーティストを好きになれるのはとても良いことですし、羨ましいことでもあります。
お互いに共通の趣味があり、家に帰れば慣れ親しんだ美味しい料理が待っているため、親子仲が良好になるのはある意味必然的なことだとも言えそうです。
もし仮に、弦人さんが結婚をして実家を離れるということになれば、親子仲に多少は変化が生じるかもしれませんが、現在のところ、弦人さんが結婚する可能性は低いものと考えられますので、しばらくは親子仲が良好な状態が継続していくでしょう。
真行寺君枝が再婚する可能性
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真行寺君枝さんは現在、4足の草鞋を履いています。具体的には、自らがプロデュースする化粧品の販売業、美容に関するコンサルタント業、ナレーション業、2022年に立ち上げたYouTubeチャンネルの運営の4つです。
今は女優業はほとんど行っていないのですが、上記4足の草鞋を履いているため、毎日がとても充実しており、仕事で心が満たされている他にも、家に帰ればお姉さんと息子の弦人さんがいますので、日々の悩みや仕事で抱えたストレスは、家族との会話を通じて解消させることができています。
結婚相手がいなくても、仕事が充実していることと家族に恵まれていることから、真行寺君枝さんの人生は善循環ができており、再婚する可能性は極めて低いものと考えられます。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。