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今回は、歌手の欧陽菲菲さんについてご紹介します。
『雨の御堂筋』や『ラヴ・イズ・オーヴァー』など、昭和を代表するヒット曲で人々を魅了した欧陽菲菲さんは現在、旦那さんと死別し子供もいないのですが、心の拠り所は姪っ子の存在でした。現在のセレブ生活の様子や、欧陽菲菲さんが天才歌手たる所以を徹底調査してみました。
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欧陽菲菲は現在旦那・式場壮吉と死別し独身
欧陽菲菲さんの旦那さんは式場壮吉さんです。
苗字が「しきば」という珍しい苗字であることから、日本人ではないのではないかとも言われていますが、千葉県市川市生まれの列記とした日本人です。
生まれた家は資産家で、叔父である式場隆三郎さんは医療法人式場病院の創始者で、父親は同病院の理事長でした。
若い頃には伝説のレーシングドライバーとして活躍しており、引退後は自動車評論家として活動していました。
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欧陽菲菲さんと式場壮吉さんが結婚したのは1978年4月のことで、当時の欧陽菲菲さんの年齢は28歳。初婚でしたが、式場壮吉さんは再婚でした。
知り合ったのは1976年8月に開催された食事会でした。式場壮吉さんの友人の奥さんが台湾出身で、その人が欧陽菲菲さんの妹の友人でもあったことから、六本木で食事会が開催されることになりました。
このときはまだ、欧陽菲菲さんは式場壮吉さんがレーサーであることを知らず、式場壮吉さんも芸能界に詳しくなかったため、欧陽菲菲さんが歌手であることすら知らない状態でした。
ところが、全くの面識がなかった2人はなぜか意気投合し、1977年秋以降に急展開を迎えます。
お互いの両親に紹介し、そこからはとんとん拍子に事が運んでいきます。1978年1月には台湾のメディアが、欧陽菲菲さんと式場壮吉さんの結婚を報じました。
1978年2月14日には台湾で結婚式が行われ、多くの日本や台湾の報道陣が詰めかけた中で、2.5カラットのダイヤの婚約指輪を指にはめながら涙を流したシーンがとても印象的でした。
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1978年4月16日には東京都内の教会で挙式が行われ、神父さんとのやりとりは欧陽菲菲さんは中国語で、式場壮吉さんは日本語で行うという、2カ国語を用いての挙式でした。
そしてその後、日本(4月18日)と台湾(4月22日)の両国で結婚披露宴が盛大に執り行われ、終了後にはハネムーンの予定でしたが、ビザの発行が遅れたため予定していたベネチア旅行がキャンセルとなるハプニングもありました。
結婚した後は夫婦円満な状態が長く続き、欧陽菲菲さんは取材に対して、私たちのポン(結婚相手を選ぶことを麻雀の”ポン”に例えるという台湾の風習)は成功したと語っていました。
晩年は医療法人式場病院の理事長を務めるなど、病院経営にも携わっていましたが、2016年5月17日に、肝不全のため東京都内の病院で死去しました。
2016年5月22日には、東京都内で告別式が行われ、その場に欧陽菲菲さんも参列していました。
式場壮吉さんが亡くなってから、早くも5年以上の月日が経過していますが、欧陽菲菲さんは再婚せずに独身のままでいます。
欧陽菲菲は現在も子供なしのセレブ生活を継続中
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欧陽菲菲さんと式場壮吉さんの間に子供はいません。
欧陽菲菲さんは2016年に式場壮吉さんと死別して以降、表立った活動はほとんどしておらず、強いて言えば欧陽娜娜さんのプロモーションのためにブログを更新した程度です。
それにもかかわらず、現在はセレブ生活をしているとの噂が流れているのはどうしてなのでしょうか。
詳しく調べてみると、まずは式場壮吉さんが残した遺産が相当な額であること、昔のヒット曲が生み出す歌唱印税が現在の生活の原資であることが判明しました。
不定期にではありますが、チャリティーコンサートに参加したり、自身でも開催したりと、ビジネスを主目的としない活動を中心に行っている欧陽菲菲さん。財力があるからこそ施したいという気持ちが芽生えてくるのでしょう。
欧陽菲菲に現在子供はいないけど姪の存在が心の支え
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式場壮吉さんが存命だった頃はとても夫婦仲が良く、なぜ子供がいないのかとの声が上がった時期もありましたが、欧陽菲菲さんはファンを大切に、式場壮吉さんはモータースポーツに情熱を注ぎこんでいましたので、子供がいなくても充分に満たされていたのではないでしょうか。
ファンのことを常に第一に考えてきた欧陽菲菲さんですが、プライベートでは姪っ子の存在がとても大きかったようです。
欧陽菲菲さんの姪は欧陽娜娜(ナナ)さんで、わずか10歳でチェリストとしてプロデビューを果たし、12歳のときには国家音楽庁(台湾で最も権威のあるコンサート・ホール)で演奏したソリスト(単独演奏者)として最年少記録を作った逸材です。
音楽の才能が高く評価され、13歳で米国の超難関の名門音楽学校であるカーティス音楽院に入学し、18歳で米国の別の名門音楽学校であるバークリー音楽大学へも入学する超エリートです。
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音楽の才能だけではなく、俳優の才能にも恵まれ、2014年に公開された映画『北京愛情故事』で女優デビューを果たしています。その当時の欧陽娜娜さんの年齢は14歳だったのですが、年齢からは想像できない美貌にも注目が集まり、一躍時の人となりました。
台湾の欧陽娜娜さんは、日本の小松菜奈さん、韓国のNANAさんとともに”アジア三大Nana”と呼ばれています。
そんな欧陽娜娜さんのことを欧陽菲菲さんはとても愛おしく思っているようで、幼い頃から自分の子供のように接してきたため、子供がいない今でも実の子供のように可愛がっていると同時に、誇らしくも思っているようです。
欧陽菲菲が若い頃から現在もなお天才歌手である所以
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欧陽菲菲さんは台湾出身であることから、デビューした当初は日本語はほとんど話せない状態でした。歌詞の片言が気にならないほどの圧倒的な歌声と歌唱力で、ファンを虜にし続けてきました。
そしてその歌唱力は70代になった今でも健在です。
欧陽菲菲さん、懐かしい!
日本語が辿々しかったけれど、歌唱力は抜群でしたね。— ククーシュカ (@Shingenmoti66) August 26, 2020
ボイストレーニングなどの基本的なことは毎日欠かさず行っているはずですが、それでも普通であれば年齢によって多少の衰えはあるものです。
生まれ持った類まれなる歌手としての素養がずば抜けている証ですが、昔の欧陽菲菲さんを知る人だけではなく、昔の欧陽菲菲さんが歌うシーンを見たり聞いたりした人が新たにファンとなっていく好循環が生まれている点が、欧陽菲菲さんが天才歌手たる所以なのでしょう。
2024年1月には、バイク王のCM(「さよならなんて」篇)で、CMのナレーションも担当しているバイク王のイメージキャラクターであるつるの剛士さんがカバーした『ラブ・イズ・オーバー』が話題になっていました。
CMが放映され始めると、この歌は何の曲?、誰が歌ってるの?との声が上がり、欧陽菲菲さんの認知度が高まりました。
自らがステージに立ったり曲を発表しなくともその名が世間に知れ渡っていく、これぞレジェエンドたる所以なのだなと改めて、欧陽菲菲さんの魅力を再認識することができました。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。