大久保佳代子の大学と高校が驚異的!大学時代のかわいい画像あり

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今回は、お笑いタレントの大久保佳代子さんについてご紹介します。

大久保佳代子さんの出身大学と出身高校について調べてみると、大久保佳代子さんの頭脳が素晴らしいことが判明しました。大学時代のかわいい画像とともにお伝えします。

大久保佳代子の大学と高校はどこ?

大久保佳代子さんは、愛知県田原市出身で、田原市立田原中部小学校卒業後、田原市立田原中学校に進学しました。地元である田原市内の公立学校に通う、ごくごく普通の女の子でした。

田原中学校を卒業した後は、同じく田原市内にある、愛知県立成章高等学校に進学しています。

江戸時代に創設された田原藩の藩校成章館を前身とし、旧制県立中学の流れを組む伝統のある公立高校です。

ちなみに、相方の光浦靖子さんとは、小学校から高校まで同じ学校でしたが、同じクラスになったのは高校3年生の頃の1年だけです。

緩すぎず、きつ過ぎずの校風のもとで高校生活を送った大久保佳代子さんは、成章高校卒業後に千葉大学文学部に進学します。

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千葉大学を進学先に選んだのは、上京したかったからだそうです。地元の愛知県を離れた大学を選ぶ際に大久保佳代子さんの父親が出した条件は学費でした。

家を出て大学に行きたいんだったら、仕送りの代わりが学費だから、国立の大学でないと駄目だ

とは言え、大学進学後、多少は実家からの仕送りがあったようですが、大久保佳代子さんの実家は、金銭教育もしっかりとされていたようです。

大学生活は西千葉で送っており、家賃6万円で間取りは2Kの物件に住んでいました。

大学進学当時のことについて、大久保佳代子さんはこのように振り返っていました。

お茶の水は難関だし、東京芸大や都立大学はギリギリのラインだし、筑波は遠い

大久保佳代子さんの母校である成章高校の卒業生の中には、全国の国公立大学に進学する生徒がいますが、その主な進学先は、地方の国公立大学が多い一方で、首都圏の国公立大学進学者は少ないことから、大久保佳代子さんは成績優秀者だったと言えます。

大久保佳代子さんの頭脳が明晰なのは、小さい頃から習っていたそろばんの影響が強いようです。

特技は暗算。珠算二段の腕前を持ち、地元の珠算大会で準優勝をしている。

大学時代は、千葉大学のサークルには所属せず、早稲田大学お笑いサークル・寄席演芸研究会に所属しており、そこで幼馴染の光浦靖子さんと一緒にオアシズを結成しました。

インターネット上では、大久保佳代子さんの出身大学が早稲田大学だと言われていますが、こちらの情報はデマで、早稲田大学のサークルに籍を置いていたというのが正しい情報です。

大久保佳代子の大学時代は順風満帆?かわいい画像あり

大久保佳代子さんは、大学時代の自分自身をこのように語っていました。

キラキラのキャンパスライフを期待してたのに、入ってみたら何かが違う。そもそも、千葉大は都会にねーし!(笑)。

周りには私と同じ、地方出身で受験を勝ち抜いてきた地味な子ばかり。仲良くなったのも、入学式で同じ列に並んだ女子4人だけ。今も連絡を取り合うほどの大学時代の友達って、千葉大ではその子たちぐらいです。

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とはいえ、与えられた環境の中でいろいろやってはみたんですよ。教員免許も取ろうとしたし(単位が多すぎて手に負えないとわかり、断念)、当時はやってたスカッシュのサークルにも入ってみた(仲間内の雰囲気に乗り切れず退部)。

おもしろくないなぁと思いながらも、とにかく授業には真面目に出てました。そんなとき、相方の光浦(靖子)さん(東京外国語大学卒)が早稲田大学のお笑いサークルを見つけてきて、それが芸能界への道に繋がったんです。

当時の男性関係については、このように語っていました。

サークルの部室は早大にほど近い、古いアパートの一室。さえないお笑いオタクみたいな男子ばっかりなんですが、さすがに話は面白いし居心地がいい。私たち女子は「なんだこの不細工な男どもは?」って思ってましたけど、向こうは向こうで「あーあ、ぱっとしない女子ばっか!」って。お互いを下に見てました。

で、たまにちょっとかわいい子が見学に来ると、男子、色めき立つ、みたいな。馬鹿でしょう? でもそれが楽しくて。しょっちゅう、千葉から早稲田まで通いましたよ。交通費もかかるし、顔を出せば必ず飲みに行くことになるから、アルバイトもしました。オシャレにお金を費やしたことはなかったけど、人付き合いにはいそしんでましたね。

学業とサークル活動を通じて得たものが現在の芸能界での活動の肥やしになっていることは紛れもない事実です。

今のお笑いの世界でも、ひらめきとか発想とかは、基本ない人間だと思っています。

でも、お題がわかっていれば、「今日は3時間考える」って決めて考えます。2時間やってあきらめるんじゃなく、3時間たった時に出てくるんじゃないか、と考える。

時間を決めて勉強していた受験勉強みたいに。やればやるだけ、結果が出た記憶からでしょうね。

大学受験勉強をしていた高校生の頃の経験も、今の大久保佳代子さんにとっては欠かせないものだったようです。

大久保佳代子は一流の大学に通う大学生だったのになぜお笑いの世界に?

大久保佳代子さんや光浦靖子さんが大学生だった頃は、バブル経済が崩壊し就職難だったことから、一流大学の大学生であっても就職先を見つけるのが難しい就職難でした。

大久保佳代子さんも光浦靖子さんも、お笑いという仕事に興味を持つ続けていたため、大学卒業後はOLとお笑いの二足の草鞋を履いた状態で活動していましたが、OLとして就職した先(コールセンター)は働きたいと思っていた会社ではなかったようです。

相方の光浦靖子さんが二足の草鞋を履きつつも、早い段階からテレビでのレギュラーの仕事が決まっていったため、内心は決して穏やかではなかったようですが、じっと我慢し続けた結果、徐々にクイズ番組等で頭脳が明晰であることが浸透し始め、2010年に15年間勤めたコールセンターの仕事を辞め、芸人だけで食べていける状態になりました。

大久保佳代子の若い頃(OL時代)の辛い体験とは?

大久保佳代子さんは14年間もの間、OLをしていた時期がありました。オアシズが結成されたのは1992年ですが、結成したその年に、何とバラエティ番組のレギュラー出演が決まるという最高のスタートを切りました。

しかし、翌年に番組改編が行われ、新番組には光浦靖子さんだけが出演することになり、事実上、大久保佳代子さんは外された形となりました。

その理由は「光浦は笑えるブスだが、大久保は笑えないブス」だからというもの。

実力主義の芸能界とはいえ、大久保佳代子さんにとってはとても辛い経験だったと思います。

新番組から外された大久保佳代子さんは、1996年頃から2010年8月までの約14年間、OLとタレントの掛け持ちをしていました。

本人曰く、勤務先はコールセンターの会社で彼女はクレーム処理の業務を担当していたそうです。しかし、芸能活動との兼ね合いもあり、出勤日数は週2日程度だったと言います。

彼女もOLとの掛け持ちは半ばネタにしている節があり、テレビ出演の際には頻繁にそのことに触れていました。

そうなると気になるのは会社名や勤務先ではないでしょうか?

調べてみたところ、彼女の勤め先は神奈川県川崎市の溝の口であるという情報が見つかりました。

掛け持ちをしていた14年間は、表にはださないですが相当辛かったはずですが、途中で投げ出さずに地道に芸能活動を続けた結果、今の大成功があるのだと思うと、大久保佳代子さんの仕事に対するスタンスには見習うべきところが多くあることを実感しました。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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