今回はタレントの西川きよしさんについてご紹介します。
西川きよしさんの息子で次男の西川弘志さんは今、福岡で店を経営していますが、かつては芸能活動をしていた時期もありました。その頃に事件を起こしたとの噂もあるのですが、果たしてその真相とは?!
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西川きよしの息子で次男の西川弘志は現在飲食店を経営中
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西川弘志さんは1970年3月1日生まれで、本名は西川傑志(ひろし)です。言わずと知れた西川きよしさん・西川ヘレン夫妻の二男で、兄は俳優の西川忠志さん、妹はタレントの西川かの子さんです。
2006年から福岡市に移住し、飲食店経営者として活動を開始しました。移住当初は博多区のgate’s内で和食店『しゃり番』を開店・運営していましたが、そのお店は2008年に閉店しました。
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ですが同じ年の5月に、今度は中央区に和食店『にし川』を開店し、現在はこのお店のオーナー兼店主としてお店を切り盛りしています。
飲食店を経営する傍ら、テレビ西日本で生放送されている情報番組『ももち浜ストア』の料理・クッキングコーナーにも出演しています。
コロナ禍で客足が激減し、お店の経営状態は決して芳しくはありませんが、辛子明太子や自家製ハンバーグのお取り寄せなどで経営を下支えしています。
にし川のお店自体は、”肩の凝らない大人の隠れ家”というコンセプトで、デートや接待にうってつけですが、決して敷居は高くありませんので、気軽に訪れることができるお店です。地下鉄の天神南駅から徒歩5分の好立地ですので、天神に行かれた際には立ち寄ってみて下さい。
西川きよしの息子で次男の西川弘志はかつて芸能活動をしていた
西川弘志さんは兵庫県宝塚市にある雲雀丘学園高等学校を中退した後、1985年に、TBS系で放送された『サーティーン・ボーイ 僕は札束中学生』で俳優デビューしました。
同じくTBS系で放送された『毎度おさわがせします2』では、西川きよしさんの相方である横山やすしさんの長男・木村一八さんとの競演も実現しました。
その後も俳優活動は順調で、日本テレビ系で放送された『なんて素敵にジャパネスク』や『白虎隊』(いずれも1986年)に出演した後、1988年10月からの半年間は、NHKの朝の連続テレビ小説『純ちゃんの応援歌』に出演しました。このときに共演した唐沢寿明さんとは今でも親交があり、西川弘志さんのお店にも来店したことがあるそうです。
俳優活動の傍らで、フジテレビ系で放送された『花王名人劇場』に出演した際には、 横山やすしさんの長男である木村一八さんとやすきよ2世漫才を披露したこともありました。往年のやすきよファンからすれば待望のシーンだっただけに、そのまま2世漫才コンビとしての活動を期待された時期もありましたが、残念ながらその姿を2度と見ることはありませんでした。
ですが俳優西川弘志に対する評価は芳しく、1988年に上映された映画『郷愁』で主演を務めたことで、第13回報知映画賞新人賞を獲得しました。
俳優として活動する西川弘志さんでしたが、1988年には『エデンの夏』で歌手デビューし、オリコン38位にランクインしました。その後も『明日への叫び~サイバー・ハート~』、『灼熱のヴィーナス』など、シングル曲CD3曲とアルバムCD1枚をリリースし、歌手としての活動経験もあります。
西川きよしの息子で次男の西川弘志の事件の真相と芸能界引退の関係
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西川弘志さんを巡っては、かつて事件を起こしたことがあるとの噂があるのですが本当なのでしょうか。詳しく調べてみると、西川弘志さん自身が事件を起こしたことはなく、友人がかつて殺人事件を起こしたことがありました。
2004年に名古屋の中日劇場で行われた西川弘志さんが出演する舞台を観に来ていた親友が、一緒に来ていた仲間に刺殺されるという悲しい殺人事件でした。
亡くなった親友と加害者は大学からの同級生だったのですが、舞台の終了間際に突然襲いかかったようです。加害者は事件後すぐに逮捕されたのですが、犯行の動機に関しては一切語らずに固く口をつぐんでいました。
亡くなった西川弘志さんの親友の父親は元大関・小錦さんの後援会会員で、西川弘志さんが小錦さんと親交があったことがきっかけで知り合い、意気投合した仲でした。普段から2人は非常に仲が良く、当時、舞台が終わった後は西川弘志さんの楽屋で久々に会う約束をしていたそうです。
舞台公演中の出来事だっただけに、その様子はニュースでも放送されたのですが、当の西川弘志さんは相当ショックを受け、しばらくはショックから立ち直ることができなかったそうです。
その一件があってからの西川弘志さんは目立った芸能活動をすることはなく、2005年12月末に吉本興業を退社、事実上の芸能界引退ということになりました。
ご本人を含めて関係者から詳細発表はされていませんが、これまで順調に芸能活動を重ねてきた西川弘志さんでしたので、友人の起こした殺人事件が西川弘志さんの芸能界引退を招いた可能性は否定できません。
また、俳優としての活動が全盛だった頃には年収が3000万円を超していたこともあるのですが、芸能界は水物ですので、仕事のペースが徐々に落ちていき、芸能活動だけでは生活をしていくことが難しく、アルバイトで食いつなぐ生活が始まったのも、芸能界引退を決断した理由の一つとされています。
西川きよしの息子で次男の西川弘志の結婚と子供について
西川弘志さんは結婚していて、子供は3人います。第一子が西川きよしさん・西川ヘレンさんにとって初孫にあたります。
吉本興業を退社して活動拠点を福岡市に移した2006年時点で、西川弘志さんの年齢は36歳でしたので、すでにその当時結婚していたものと考えられますし、子供も生まれていたと思われます。
全くの畑違いの仕事に飛び込むだけでも相当な勇気が必要な上に、家族がいたともなれば、並大抵の覚悟ではそういった決断を下すことができません。そういうことからしても、西川弘志さんの料理に対する並々ならぬ意気込みを感じます。
ただし、西川弘志さんを含めて家族全員が一般人ですので、具体的な職業や年齢や学校については不明でした。この辺りに関しましては、今後また何か新しい情報が入り次第こちらのブログに追記していきたいと思います。
西川きよしの息子で次男の西川弘志が堀ちえみにぞっこん?!
見出しにある通り、西川弘志さんは堀ちえみさんにぞっこんの時期がありました。といってもそれは西川弘志さんが雲雀丘学園高等学校にかよっていた頃のことです。
堀ちえみさんの大ファンだったことから、革の学生鞄にピンクのマジックで「ちえみ命」と書いていたほどの熱の入りようで、学校帰りに堀ちえみさんが出演した番組を放送しているテレビ局で出待ちをしたこともあるようですが、実際に面識まではなかったそうです。
西川きよしと息子で次男の西川弘志の親子関係が悪かった
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西川弘志さんが芸能界に入りたいと両親に相談したところ、西川きよしさん・西川ヘレンさん夫妻は大反対をしたそうです。
一見すると意外な気もしますが、西川きよしさんは若い頃、とても辛い極貧生活を経験したことがありました。それは西川ヘレンさんと結婚した当初のことなのですが、当時吉本新喜劇のマドンナ役だったヘレン杉本(西川ヘレン)さんと結婚したことで、吉本興業の部長の逆鱗に触れ、引退を迫られたこともあるほど冷遇されていました。
仕事が入ることはほとんどなく、辛い下積み時代を過ごした過去がある西川きよしさんだからこそ、息子の芸能界入りを反対したのも良く分かります。
一時期は芸能界入りを巡って親子で対立をした時期もありましたが、西川弘志さんが芸能活動を開始し、俳優として数々の作品や番組に出演するうちに、親子間での対立は少なくなっていきました。
芸能界を引退し、飲食店をオープンさせて以降も、何度か西川きよしさんがヘレンさんとともに福岡のお店に訪れる様子を目撃した人もいるようですので、現在では親子関係は良好です。
西川弘志さんのお店では、にし川のハンバーグなるものがメニューにあるのですが、そのハンバーグは、西川弘志さんが小さい頃から食べ続けてきた、西川ヘレンさんお手製のハンバーグを見た目も味もそっくりに再現したものです。
お店の看板メニューに実家のハンバーグを設定するほどですので、現在の西川家の親子関係が悪いということは考え難いですね。
西川きよしと息子で次男の西川弘史がファミリーの食事会で同席
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こちらのインスタ画像は、お正月に大阪府箕面市にある西川きよしさんの自宅に西川ファミリーが集合したときの画像です。
西川忠志さんのインスタにも同じときに撮影された画像がアップされていますが、親子で食卓を囲みながら、昔の話や現在の様子、さらには新年の抱負などを共有し、楽しいひと時を過ごすことができた様子です。
このことからしても、西川弘志さんと西川きよしさんの親子関係は修復され良好な関係が再構築されたと言って間違いないものと思われます。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。