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今回は、俳優でタレントの長江健次さんについてご紹介します。
イモ欽トリオのフツオ役として大ブレイクし、その後は出身地である大阪を拠点に活動し、スノーボードスクールも開催するなど、多方面で活躍中の長江健次さん。プライベートでは結婚歴が2回あり、元嫁は客室乗務員であることが判明しました。子供は双子の息子でスノボに没頭中とのことなのですが、長江健次さんの詳細に迫ってみました。
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長江健次には結婚歴が2回ある
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長江健次さんのプライベートについて調べてみると、バツイチであることが判明しました。
現在は再婚した奥さんとともに幸せに過ごされているのですが、若い頃にはかなりやんちゃだったとの噂もあります。
世間一般には、バツイチ男性が再婚するに当たって相手女性に求める条件は、
メンタルが安定していること
自分で稼ぐ力を持っていて経済力があること
結婚生活のリズムを把握できていること
意見衝突が起きた際に論理的に考え解決できること
元嫁が持っていた短所を有していないこと
一緒にいて未来が楽しくなるような存在であること
ですが、長江健次さんが再婚した現在の奥さんはこれらの条件を全て満たしているのでしょうか。
長江健次さんの最初の嫁との馴れ初めや離婚理由、現在の嫁との夫婦仲や離婚可能性について詳しく調べてみました。
長江健次の最初の嫁は元客室乗務員
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長江健次さんの最初の結婚相手は元客室乗務員で、結婚したのは1995年7月です。
結婚した当時の長江健次さんの年齢は31歳でした。
元嫁の年齢は明らかにされていませんが、長江健次さんは年下の女性が好みだとの噂もありますので、元嫁は年下であったのかもしれません。
馴れ初め
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長江健次さんが元の奥さんと結婚した時点で、奥さんは元客室乗務員だと紹介されていましたので、出会った当時は客室乗務員で、結婚と同時に航空会社を退職したものと考えられます。
出会ったのは長江健次さんが奥さんの務める航空会社の飛行機に搭乗したときか、あるいは合コンで知り合ったという可能性もあります。
長江健次さんは大阪府立渋谷高等学校在学中の1981年4月6日に『欽ドン!良い子悪い子普通の子』の放送が開始されたことに伴い、フツオ役でテレビデビューしました。
しかしその後、大阪芸術大学に進学したことを機に、萩本欽一さんには無断で大阪を拠点として芸能活動を再開したことから、萩本欽一さんや所属事務所の逆鱗に触れ、それ以降は東京での芸能活動を制限されていました。
ですので、長江健次さんと最初の奥さんが出会ったのは関西だったものと考えられます。
結婚式
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芸能界デビューした頃は萩本欽一さんの元で私生活を含めて全てのことをお世話になっていた長江健次さんでしたが、東京での芸能活動を制限されてからは、大阪で明石家さんまさんがパーソナリティを務めるラジオ番組『MBSヤングタウン』に出演するなど、明石家さんまさんをはじめとした関西の大御所芸能人のお世話になっていました。
そんな長江健次さんが結婚することになり、後輩思いで情に厚い明石家さんまさんが何もせずに黙っているはずはありません。
長江健次さんから結婚することを聞き、余りあるご祝儀はもちろんのこと、明石家さんまさんならではのサプライズで長江健次さんの結婚をお祝いされたそうです。
ですが、大々的に結婚式を挙げたり大規模な結婚披露宴を行わず、関西にいる親族やお世話になっている近しい人たちだけを招いた結婚報告会兼食事会を開催した程度だったようです。
子供はいない
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長江健次さんと元嫁の間には子供はいません。
結婚した当時の長江健次さんは、萩本欽一さんや所属事務所から東京での芸能活動を制限されていたため関西で芸能活動を行っていました。
イモ欽トリオとして東京で活躍していた頃に比べると時間的余裕があったため、夫婦2人っきりの時間を確保することも容易だったものと思われますが、長江健次さんは趣味の域を超えるほどスノーボードにハマっていましたし、奥さんも趣味や自分自身のしたいことを優先させたため、子供を作ろうという雰囲気にはならなかったのかもしれません。
離婚理由
長江健次さんと元嫁との間に離婚が成立したのは1999年でした。結婚したのが1995年ですので、結婚生活は4年弱でした。
しかし、離婚が成立するまで離婚協議が続いていましたので、実質的な結婚生活はもっと短かったものと思われます。
結婚した当初はお互いの魅力に惹かれ合っていた2人でしたが、徐々にお互いの嫌な部分が見えてきたり、趣味やしたいことを優先させる生活をしていくうちに徐々に価値観にズレが生じ始め、気付いたときには修復が不可能なレベルにまで達していたものと思われます。
長江健次の現在の嫁は一般人
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長江健次さんは最初の奥さんとの離婚が1999年に成立した4年後の2003年に再婚しました。
お相手は一般人ですが、再婚した当時の長江健次さんの活動拠点は関西でしたので、奥さんは関西人である可能性が高いです。
何度か放送された『欽ドン』の同窓会番組では、主要レギュラーメンバーが毎回出演オファーされるものの、長江健次さんだけオファーされない状態が続いており、『欽ドン』の最終回にこそ呼ばれたものの、その後再び萩本欽一さんと疎遠状態になり、長江健次さんも欽ドンやイモ欽トリオ関連の仕事は全て断っていました。
しかし、2000年代に入ってからは徐々に萩本金一さんとの関係が改善し始めていきましたので、奥さんと再婚したことで運気が上昇し始めたとも考えられます。
馴れ初め
長江健次さんが現在の奥さんと再婚した当時は、活動拠点が関西であったことに加えて、東京にいた頃と比べると芸能活動のペースを落としていたことから、長江健次さんと奥さんが出会ったのは関西であると考えられます。
この当時の長江健司さんの主な仕事内容は、関西ローカルのラジオ番組への出演でしたので、奥さんはラジオ局関係者か、ラジオ番組のスポンサー企業に勤務していた会社員である可能性もあります。
結婚式
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長江健次さんが現在の奥さんと再婚した2003年当時の芸能ニュースを辿ってみたのですが、長江健次さんが結婚式を行ったと思しき情報は見つかりませんでした。
再婚した当時、すでに奥さんのお腹の中にはお子さんを授かっていた可能性が高いですので、身重だった奥さんのことを考慮して、結婚式や結婚披露宴は行わなかったものと思われます。
夫婦仲と離婚の可能性
長江健次さんのSNSを確認してみましたが、奥さんとの夫婦仲や普段の様子を示す情報は見つかりませんでした。
結婚して以降、活動拠点を関西にして今も関西で生活していることから、奥さんにとっても住み慣れた関西で心穏やかに過ごしていこうという夫婦での話し合いが行われたのかもしれませんし、現在長江健次さんが精力的に音楽活動に没頭できているのは奥さんのサポートあってのことだと想像できますので、夫婦仲は良好であると思われます。
ですので、長江健次さんと奥さんが離婚する可能性は低いものと考えられます。
長江健次と現在の嫁には子供が2人いて双子の息子
長江健次さんと再婚した奥さんとの間には双子の息子さんがいます。
2013年5月時点で小学校4年生だと紹介されていましたし、2023年9月27日の長江健次さんのInstagramでは20歳の誕生日をお祝いするコメントが綴られていましたので、恐らく長江健次さんの息子さん達は2003年9月27日生まれで間違いないものと思われます。
長江健次さんが現在の奥さんと再婚したのが2003年でしたので、奥さんとの結婚は授かり婚だった可能性が高いです。
長江健次の息子はスノーボードに没頭中
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長江健次さんの双子の息子さんが現在スノーボードに没頭中であるとの噂が出回っています。
この噂の出どこは、長江健次さん自身がスノーボードの全日本選手権に5年連続で出場したこともあるほど腕前だということです。
かつては2006年に行われたトリノオリンピックには日本チームのコーチとして参加したこともあるほどの実力者で、トリノオリンピックに出場した竹内智香選手や藤森由香選手のコーチを務めたとも言われています。
しかし、日本オリンピック委員会の公式サイトを調べてみると、コーチ陣に長江健次さんの名前がなかったこと、藤森由香さんがオリンピック当日に長江健次さんが観客席で競技を観戦していたと語っていたことから、長江健次さんは日本チームのナショナルコーチではなく、サポートコーチだった可能性が高いです。
その後も『長江健次スノーボードスクール』を主催して子供たちにスノーボードを教えたり、不定期ながらもスノーボード解説者として情報番組に出演したりもしていますので、長江健次さんの2人の息子さんも当然スノーボードをしているものと認識されているようです。
しかし、実際に2人の息子さんがスノーボードをしているという証拠はなく、長江健次さん自身も息子さん達がスノーボードをしていると公言したわけではありませんので、息子さん達はスノーボードをしていない可能性もあります。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。