五十嵐めぐみは現在バーを経営!旦那と死別し息子を育てた肝っ玉ぶりが凄い

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今回は、女優の五十嵐めぐみさんについてご紹介します。

若い頃は数々のドラマに出演し、その存在が世間に知れ渡っていた五十嵐めぐみさんですが、最近ではその姿を見かける機会がほとんどなくなりました。は芸能活動をほとんど行わず鎌倉にあるバーの経営者となっています。旦那さんと死別した後、息子2人を育てた肝っ玉ぶりが凄かったのでその詳細をお伝えします。

五十嵐めぐみは現在鎌倉でバーを経営している

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五十嵐めぐみさんは現在、東京から鎌倉に引っ越し、女優の松井紀美江さんが経営するバー・

L’avance(ラヴァンス)で働いています。

お店の住所は、神奈川県鎌倉市小町2-11-11大谷マーケット1Fで、通称かつら小路という、小さな店が何軒か並んでいる一角(ビルの1階)に店があります。

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お店のオーナーは女優の松井紀美江さんですが、松井紀美江さんはもう一つのお店である鎌倉和食ダイニングVACANCES(ヴァカンス)の経営に専念しているため、五十嵐めぐみさんがL’avanceの経営を担当しています。

もちろん、L’avanceもオーナーは松井紀美江さんですが、お店の顔としてお客さんに認知されているのは五十嵐めぐみさんですので、実質的には経営者に近い形となっています。

お店は紹介制となっているのですが、一見さんで訪れたことがある人によると、快く迎え入れてもらえたそうです。恐らく、一見さん全員を受け入れいないのではなく、あからさまに女優五十嵐めぐみ目当てで来るお客さんをできる限り受け入れたくないということなのでしょう。

しっぽりと呑めるお店で、五十嵐めぐみさんの撮影秘話や世間話など、美味しいお酒や五十嵐めぐみさんお手製の料理を食べながら美味しいお酒が飲める、常連客の多い人気店です。

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五十嵐めぐみさんはかつて、一切お酒を飲むことができなかったそうなのですが、お店を経営するようになってから少しずつ飲めるようになってきたということで、特に白ワインを飲んでいるそうです。

昔は芸能界の第一線で活躍していた五十嵐めぐみさんですが、いざ会ってみると、ザ・女優という雰囲気ではなく、飾らない中にも女優のオーラを感じさせていて、話しやすい雰囲気でお客さんを迎え入れています。

五十嵐めぐみは旦那でカメラマンのケン影岡と死別していた

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五十嵐めぐみさんは、1983年に写真家のケン影岡(本名:岡紀彦)さんと結婚しました。

ケン影岡さんはヌ〇ド写真を得意とするカメラマンですが、1970年代初期には、日本のロックバンドのアルバムジャケットを多く手がけたりもする売れっ子カメラマンでした。年齢は五十嵐めぐみさんよりも10歳年上で、仕事を通じて知り合いました。

当時の五十嵐めぐみさんは、結婚した1983年には、映画『せんせい』や、ドラマ『高校聖夫婦』(TBS)、『壬生の恋歌』(NHK)、『暴力少年 愛する息子よ、死んでくれ!』(テレビ朝日)に出演する超多忙な生活をしていました。

仕事が順調な上に、ケン影岡さんの年齢が10歳も年上だったことから、五十嵐めぐみさんの家族や所属事務所である愛企画から猛反対されていました。

それでも何とか結婚したいと考えた五十嵐めぐみさんは、いくら周囲が反対していても、子供ができてしまえば認めざるを得なくなるだろうと考え、できちゃった結婚を計画しました。

当然計画通りに事が運ぶとは限りませんでしたが、幸運にも五十嵐めぐみさんは子供を授かることができ、当初の計画通り結婚することができました。

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その後、五十嵐めぐみさんは家事と育児に専念するために芸能界を引退し、幸せな日々を送っていました。

ところが、結婚してから4年の月日が経過したある日、突然ケン影岡さんからであることを告白されました。あまりにも突然のこと過ぎて頭の中が真っ白になった五十嵐めぐみさんでしたが、本当に癌なのかを確認するためにケン影岡さんにセカンドオピニオンを勧め、他の医療機関で再検査を受検しました。

祈るような気持ちで検査結果が通知されるのを待っていましたが、結果は変わらず、食道がん(下咽頭頚部悪性腫瘍)との診断が下されました。その当時のケン影岡さんの年齢は43歳と若かったため、癌の進行が早く、癌であるとの診断が下された8カ月後の1988年5月に他界されました。

その後、五十嵐めぐみさんは芸能界に復帰し、テレビドラマや映画、舞台やバラエティ番組と多方面で活動してきました。

五十嵐めぐみが息子2人を育てた肝っ玉ぶりが凄い

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五十嵐めぐみさんには息子さんが2人います。長男の名前は健太さん、次男の名前は陽平さんです。兄弟の年の差は2歳です。

ケン影岡さんが亡くなったときの長男・健太さんの年齢は4歳、次男・陽平さんの年齢は2歳でしたので、ケン影岡さんが亡くなってからは、実のお母さんに育児を手伝ってもらいながら、2人の息子さんを育ててきました。母親の手を借りていたとはいえ、女で一つで男の子2人を育てるのは、並大抵のことではなかったはずです。

そんな五十嵐めぐみさんにとって、更なる苦難が訪れたのは、長男の健太さんが3歳のときでした。もうすでに言葉を流暢に発してもおかしくない年齢であるにもかかわらず、パピプペポの発音がうまくできず、口から上手く空気を吐き出すことができないため、ろうそくの火を吹き消すことができない状態でした。

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出典:jisin.jp

気に病んでいる五十嵐めぐみさんに対して親戚の人が、何か喉の病気に罹っているのではないかと言われたため、健太さんを連れて病院に行きました。訪れた耳鼻咽喉科の担当医から発せられた診断結果は、健太さんには口蓋垂(こうがいすい)という、いわゆるのどちんこがない状態だと診断されたのです。

五十嵐めぐみさんは迷うことなく担当医から勧められた通り手術を受けさせることを決断し、足の肉を喉に移植する手術が行われました。術後の経過は順調で、担当医からは成長していくに連れてどんどん良くなっていくと告げられました。

手術をしたのが3歳の頃で、翌年には幼稚園への入園が控えていましたので、言語障害があるという理由から、健常者枠ではなく障害者枠で私立大学付属幼稚園に入園しました。

その幼稚園は先生方が代わる代わる懇切丁寧なフォローをしてくれたため、健太さんは周囲のお友達や弟の陽平さんとも仲良く遊ぶことができ、平穏な幼稚園生活を送ることができました。

五十嵐めぐみが息子(長男)がLD(学習障害)に

出典:tv-ranking.com

平穏な幼稚園生活を送っていた長男の健太さんにまた苦難が訪れます。通っていた私立大学付属幼稚園からそのまま付属の小学校に進学したのですが、その小学校に入学する前に行われた就学児健診で、健太さんは同じ間違いや失敗を何度も繰り返す学習障害であると指摘されたのです。

五十嵐めぐみさんにも思い当たる節はあり、シャツのボタンが留められなかったり、手先が不器用だなと感じられるときがあったり、運動神経が良くないなとは思っていたそうです。ですが、それは障害だからではなく、生まれ持った特性で、喉の調子が良くなりさえすれば成長とともに周りのみんなに追いついていくだろうと楽観的に考えていました。

そのため、健太さんの診断結果を聞いてすぐには現実を受け入れることができなかったというふうに五十嵐めぐみさんは語っていました。

幼稚園の頃には当たり前のように行っていた友達へのスキンシップも、次第に年齢を重ねていくに連れてそれを嫌がる子供も出てきます。ですが、健太さんはその子が嫌がっていることを理解することができず、これまでと同様にスキンシップを取ろうとした結果、次第に健太さんには人が寄り付かなくなり、クラスの中でも浮いた存在になっていきました。

出典:芸能人の子供まとめ.net

また、問題は学校での人間関係だけではなく、家庭内でも起きていました。弟の陽平さんが小学校高学年になった頃、どうしても健太さんの障害を受け入れることができず、健太さんが家にいるだけで腹が立つと言うほど、健太さんのことを嫌うようになり、ほぼ毎日のように壮絶な兄弟喧嘩が繰り返されました。五十嵐めぐみさんは毎日の生活に神経をすり減らし、辛い日々を過ごしてきました。

健太さんが通っていた学校は、中学校までは障害者枠がありましたが、高校には障害者枠がなかったため、高校に進学してうまくやっていけるのかどうか不安に感じた五十嵐めぐみさんは、中学校の担任の先生に対して、高校で学校生活を送ることが難しいようであれば次の手を打ちたいので、早めに教えてほしいとお願いしていました。

学校側からは、健太さんがそのまま高校に進学できる準備は整っているため大丈夫だとの返答を受け、無事に高校に進学することができたときは、とても嬉しく清々しい気持ちになれたと語っていました。

健太さんは文章題は苦手だったものの、元々数学の計算ができましたので、高校の単位も問題なく取得し、高校卒業後は障害者手帳を取得して高等技術専門校に2年通い、さらには区の障害者就労支援センターに2年通い、WordやExcelなど、取得できる資格を全て取得して見事に就職することができました。

不思議なことに、健太さんの就職が決まった後は、これまで毎日のように喧嘩していた兄弟仲が良くなり、家族3人が揃って食事をしらり団らんする時間ができ、平穏な日々が訪れました。

五十嵐めぐみさんは2007年に、障害を持つ健太さんのことを綴った著書(『ありのままで~夫のガン死をこえLDの息子とともに~』)を出版し、その著書の中で、障害を持つ子供を育てることの大変さと喜びを余すことなく語っています。

五十嵐めぐみは脳梗塞を患っていた

出典:芸能人の子供まとめ.net

五十嵐めぐみさんは、旦那さんが亡くなった後に女優業に復帰し、同時にバーの経営も行うなど、これまで以上に忙しい日々を送っていました。

そんな五十嵐めぐみさんを病魔が襲いました。隠れ脳梗塞であることが判明したのです。たまたま受診した病院で病気が見つかったのですが、隠れ脳梗塞の主な原因は高血圧です。血圧が高いことで脳にある細い細胞が詰まり、脳梗塞を引き起こしていたのです。

隠れ脳梗塞だからと言ってすぐに何か症状が出てくるわけではないのですが、不規則な生活や過度なストレスによっては命の危険もあるため、定期的に通院しながら、できる限り生活リズムを整えた結果、隠れ脳梗塞を完治させることができました。

子育てのために早寝早起きの習慣が身に付いていた生活リズムが、バーの経営と女優業を始めたことで不規則になり、飲酒量が増え、睡眠時間が減ったことが隠れ脳梗塞発症の原因だったと考えられます。

五十嵐めぐみが再婚する可能性

出典:deai-wakare.tokyo

五十嵐めぐみさんは、ケン影岡さんと死別して以降、一度も結婚しておらず、息子さん2人とともに3人で暮らしています。現在は子育てが落ち着き、2人のお子さんは社会人として独立していますので、これからは自分自身のしたいことをしたり、行きたい場所に訪れたりして、人生を謳歌しても何ら不思議ではない年齢です。

ですが、現在の五十嵐めぐみさんは、テレビの仕事は少ないものの講演活動等で全国を回りつつ、それ以外は全てバーの切り盛りに時間を割いていますので、プライベートな時間はあまりない状態です。

バーを訪れる常連客の中で、五十嵐めぐみさんの好みで気の合うお相手が見つかれば結婚する可能性はありますが、現時点では結婚する可能性は低いと思われます。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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