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今回は、プロデューサーの残間里江子さんについてご紹介します。
残間里江子さんの息子さんは、母親と同じくメディア関係者であることが判明しました。夫とは離婚していて、未婚の母として過ごしてきた経歴が凄かったので、その詳細をお伝えします。
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残間里江子の息子はメディア関係者
残間里江子さんには息子さんがいるのですが、その息子さんは残間里江子さんと同じくメディア関係の仕事をしています。
残間里江子さんは、出版・映像・文化イベントなど、数々の作品を手掛ける敏腕プロデューサーなのですが、息子さんもドラマや映像作品を手掛けるプロデューサーとして活躍しています。
一般人ですので、画像や通っていた学校等の詳細はほとんど公開されていないのですが、名前は直巳さんだそうです。仕事を始めた当初は会社に所属していましたが、現在は独立していて、残間里江子さんと同じく、メディアの世界で働いています。
後ほど詳しくお伝えしますが、残間里江子さんはシングルマザーとして直巳さんを女手一つで育ててきたのですが、そんな母親の姿を尊敬していたからこそ、母親と同じメディアの世界で働くことを決意したのだと考えられます。
息子さんは既に30歳を超えていて、業界でも中堅としてかなり大きな仕事を任されることも良いため、仕事がかなり忙しいようです。そのため、残間里江子さんと連絡を取ることは滅多になく、ごく稀に電話をかけたりかかってきたりするそうです。息子さんは残間里江子さんが住んでいる実家の近くに住んでいて、すぐに会おうと思えば会える距離にいます。
最近直巳さんが実家である母親のもとを訪れたのは、愛猫のにびを預かってもらうときでした。突然実家を訪れた直己さんは、特にこれといった会話を交わすことなく猫の毛づくろい用のバリカンを取り出してきて、黙々と毛を刈り取って、15分ぐらいで帰ってしまったそうです。滞在時間は15分程度でしたが、残間里江子さんの体調を気遣って実家に帰省したのかもしれません。
残間里江子さんもかつてはジェリクルという猫を飼っていたことがありますので、親子ともに猫好きなようです。
直巳さんが残間里江子さんと同じメディアの仕事を選んだのは、幼い頃から紛争地域の写真展などに連れていき、世の中には大変な思いをして生きている子供がたくさんいるということを伝えてきたことが影響しているのだと考えられます。幼い頃からしっかりとした金銭感覚を持つ人間になってほしいとの強い思いで子育てをしてこられたことがわかります。
残間里江子が夫と離婚し未婚の母として過ごした経歴が凄い
残間里江子さんは、26歳の頃に結婚しました。その当時はお相手は明治大学短期大学時代に同じ部活だった方で、結婚した当時は女性自身の記者・編集者として多忙な日々を送っていました。
静岡放送に3年弱勤務した後に退職し、芸能レポーターである前田忠明さんを介して雑誌『女性自身』の関係者に出会ったことで、1973年に光文社に入社し、記者として活躍していました。
夫婦ともに忙しかったためすれ違いの日々が多くなっていった中で、旦那さんが浮気をしたことで離婚しようとしたのですが、浮気をした当の旦那さんが離婚を受け入れてくれなかったため、離婚調停が長期間に及びました。
ある日、風の強い新宿の西口でふと、私が他の男性と恋愛したら、旦那さんも諦めて離婚に応じてくれるのかなと多い、他の男性(息子さんの父親)と交際がスタートしました。
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交際がスタートしてから約半年が経過した39歳の頃、その男性との間に子供を授かり出産をしました。周囲には子供を授かったことをひた隠しにしていたため、育児休暇等は一切取得せず、人間ドックを受診するという理由で休暇を取って出産しました。
それだけでも驚きですが、出産した後はわずか1週間で仕事に復帰したというから更に驚きです。今でもそうですが、当時から残間里江子さんはかなりバイタリティーに満ちた女性だったことがわかります。
残間里江子さんは子供の頃から心臓に持病があり、リウマチも患っていたため、主治医からは子供を授かることは難しいだろうと言われていました。そのため、妊娠したことがとても嬉しく有難かったと語っていました。
離婚に対して頑なに拒否する姿勢を崩さなかった旦那さんも、残間里江子さんに子供ができたことを知ってようやく離婚することを決意し、全財産を旦那さんに渡すという条件を飲んで、ようやく離婚が成立しました。
通常であれば、旦那さんと離婚して子供の父親と再婚するケースですが、残間里江子さんは息子さんの父親とは再婚せずに、シングルマザーとなる道を選択しました。
残間里江子は息子や夫との人生経験を元にしたコラムが売り
残間里江子さんのコラムは、女性が社会においてどのような立場にあるかを考えることを通して、女性が社会においてどのような役割を果たすべきかを考える内容となっています。
出版・映像・文化イベントなど、数々の作品を手掛ける敏腕プロデューサーとして経験に加えて、幼少期から経験してきたご自身の病気、さらにはシングルマザーとして子育てと仕事を両立してきた経験も交えた内容に、心を打たれる人は少なくありません。
残間里江子は現在病気との噂あり
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先ほどもお伝えした通り、残間里江子さんは幼い頃から心臓に疾患を抱えていたりリウマチに罹っていたのですが、生後間もない頃は、百日咳や小児喘息、赤痢に苦しんでいました。
小学校3年生の頃には、小児性関節リウマチ炎や心臓弁膜症に罹るなど、大変な小学校生活を送っていました。
その後中学生になったからも体調は優れず、100日間もの長期間に渡り入院生活を余儀なくされました。その間に、同じ入院生活を送っている病弱な子供たちが苦しみ、亡くなっていく様子を目にしてきました。
成人してからも胆のう炎や十二指腸潰瘍、胃潰瘍など数多くの病気を患ってきました。
持病がある中での妊娠出産はとても勇気が要ったでしょうし、まさに命がけの出産だったことは容易に想像がつきます。
分娩をしたことで視神経に負担がかかり神経を痛めたため、左目はほぼ見えていない状態です。
更年期になると無痛性甲状腺炎やブシャール結節という手指の第二関節が痛む病気に苦しみ、
慢性気管支ぜんそくや狭心症も発症するなど、ご自身でも病気の問屋というあだ名を付けているほどです。
一般の人とは比べ物にならないほど数々の病に侵されてきた残間里江子さんだからこそ、病気を患いながらも、懸命に命を輝かせる意識が強く、バイタリティに満ち溢れているのだと思われます。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。