山口果林は若い頃に安部公房と不倫関係だった!現在まで独身を貫いた女優魂が凄い

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今回は、女優の山口果林さんについてご紹介します。

山口果林さんは若い頃に小説家であり劇作家であり演出家でもある安部公房さんと不倫関係だったと告白し話題になりました。安部公房さんとの馴れ初めや奥さんとの三角関係の詳細に迫るとともに、現在まで山口果林さんが独身を貫いた理由は女優業にすべてを捧げたためだった件について深堀りしてみました。

山口果林は若い頃に安部公房と不倫関係だった

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山口果林さんは、2013年7月に発売した著書『安部公房とわたし』の中で、小説家であり劇作家であり演出家でもある安部公房さんと20年もの間不倫関係にあったことを暴露し、世間を騒がせました。

安部公房さんには妻子がいることを知ったうえで男女の関係になったことも告白しましたので、暴露本を出版したことで山口果林さんに対する風当たりが強くなったこともありました。

なぜ今になって過去の秘密を暴露したのかについては山口果林さんのみぞ知ることですが、ご本人にとってのメリットと言えば、暴露本が売れるということと、山口果林さんを知らなかった人に名前が認知されることでしょう。

ただ、暴露本出版は諸刃の剣でもあり、著書の中では安部公房さんが亡くなった理由を前立腺がんだったと記したことに対して安部公房さんのさんである安部ねりさんがそのことに対して激しく反発し激怒したこともありました。

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暴露本を出版した後に行われたインタビューで山口果林さんは、東日本大震災を機にやり残したことを考えて、執筆することを決意したとのことで、本を書き終えて残りの人生を新しく生き直したいという気持ちになったと語っていました。

山口果林が若い頃に安部公房と出会ったのは大学

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山口果林さんと安部公房さんが出会ったのは大学で、当時の関係は大学の教授と学生の関係だったと著書の中には記されていました。

山口果林さんは桐朋学園大学短期大学演劇専攻に通っていたのですが、そのときの担当教授が安部公房さんでした。

2人が出会ったときの山口果林さんの年齢は18歳、安部公房さんの年齢は41歳ということで、歳の差は23歳で、その後安部公房さんが亡くなりまでの約27年にわたって不倫関係が続きました。

今であれば教える側と教え子との間の恋愛には人一倍厳しい目が向けられますが、当時はSNSがなかったため、教育現場がかなり密閉された空間であり、先生と教え子の間での男女の関係が顕かにされることは今ほど頻繁ではありませんでした。

妻子ある安部公房さんと不倫していただけでも相当ショッキングなニュースですが、著書の中ではさらに驚きの暴露を行っていました。

山口果林は安部公房の子供を妊娠していた

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更なる衝撃の暴露内容とは、山口果林さんが安部公房さんとの不倫の末に子供を妊娠していたということです。

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結果的には出産せずに中絶したということなのですが、教授と学生が不倫をした末に子供を妊娠したという一連の暴露は、ドラマ顔負けの展開で、2013年にそのことが公表された際にはかなり世間が騒がしくなりました。

安部公房さんの奥さんは、山口果林さんとの関係をご存知だったのでしょうか。

山口果林と安部公房の不倫は嫁公認だった?!

出典:toyokeizai.net

山口果林さんと安部公房さんが交際していることを、安部公房さんの奥さんである安部真知さんは知っていたようです。

さすがに20年以上もの間、旦那さんが別の女性と男女の関係にあることを全く気付かない奥さんはいないはずですので、山口果林さんと安部公房さんの不倫は、奥さん公認と言うとかなり違和感がありますが、事実上そういう状態でした。

山口果林さんが実家(東京都中央区日本橋兜町にある老舗の外商専門書店「千代田書店」で、現在は山口果林さんの弟さんが店主となっています)を出て最初にアパートを借りたとき、敷金と礼金は安部公房さんが支払ってくれましたが、その後の毎月毎月の家賃は山口果林さんが支払っていました。

お互いに自立した関係で、四六時中一緒にいるのではなく、お互いに仕事で忙しい時には各々の時間を優先させ合うという関係性が構築されていました。

山口果林と安部公房の破局の経緯

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世間では山口果林さんと安部公房さんが不倫の末に破局したと思っている方も少なくないようですが、実際には破局していません

安部公房さんは1992年12月25日の深夜に、作品を執筆していたところ脳内出血による意識障害を起こし、東海大学病院に入院しました。

1993年1月16日には経過良好で退院しましたが、山口果林さんと一緒に暮らしていた自宅で療養している途中でインフルエンザに罹患し、多摩市にある日本医科大学多摩永山病院に入院しまた。

その後、一時的に容体は回復したのですが、就寝中に急性心不全によって亡くなられました。

日本医科大学多摩永山病院に入院する際には、山口果林さんと一緒に住んでいた家から病院へ搬出されたため、亡くなるまで山口果林さんと安部公房さんの関係は続いていたということになります。

著書『安部公房とわたし』出版後に行われたインタビューで、インタビュアーから安部公房さんと結婚していたとすればどうなっていたと思うか?と質問されると、山口果林さんは、お互いに結婚には向いていないタイプだったため、結婚生活は上手くいっていなかったかもしれないと返答していました。

不倫という関係ではあるけれども、お互いに仕事を重視していて干渉されることが好きではない2人でしたので、結婚ではなく不倫だったからこそ、良い関係でい続けることができたのではないかとも語っていました。

山口果林が現在まで独身を貫いた女優魂が凄い

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先ほどもお伝えした通り、山口果林さんは他人から干渉されることが苦手で、自分自身のやりたいことに没頭する性格の持ち主です。

安部公房さんとの関係について、自分が選択したことに対する責任は自分で背負っていかないといけない。

不倫であろうが何であろうが、自分が決めたことや選んだことを背負って生きるという覚悟を決めさえすれば、後はその人の選択であり、安部公房さんと不倫関係にあったことは一切後悔していないと語っていました。

強い信念をもって人生を邁進し続ける姿に、元気づけられる人は少なくなのではないでしょうか。今後の山口果林さんの益々のご活躍を期待したいと思います。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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