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今回は、フリーアナウンサーの渡辺真理さんについてご紹介します。
キュートな笑顔で世間を和ませてきた渡辺真理さんは、現在20年もの壮絶な介護を経て再起しています。夫高井一郎さんとの間には子供はいないのですが、充実した日々を送っているそうです。
渡辺真理は現在20年の壮絶介護を経て再起
渡辺真理さんは、2014年に父親を、そして2022年10月には母親を看取りました。
一人っ子であるため、何の前触れもなく病に倒れた両親の介護を余儀なくされたときの心中は察するに余りあります。介護生活は何と20年間も続いたとのことなのですが、そんな大変な中にあっても仕事と介護を両立させていました。
テレビからは一切そんな様子を感じ取ることはなかったのですが、当時の渡辺真理さんの様子はどうだったのでしょうか。
渡辺真理さんの介護生活は1998年12月にスタートしました。父親である半三さんが脳内出血で倒れたことがきっかけで介護生活が始まりました。
ある日、渡辺真理さんが母親と一緒に神奈川県民ホールで上演されたお芝居を観に行って自宅に帰ると、父親がベッドに横になっていました。部屋を見渡してみると、ドアにはめ込まれたガラスが割れていて、恐らくドア付近で倒れてベッドまで移動したのだと察知しました。
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渡辺真理さんが「大丈夫?」と声をかけると、呂律が回らない状態で返答がありました。脳に異常があるのではと察した渡辺真理さんは急遽、主治医の先生に電話をして指示を仰ぎ、救急車を呼びました。
救急車で運ばれた先の病院では、当直の脳外科医が不在だったため、合計3つの病院をまわった結果、新横浜駅近くの脳外科専門病院に受け入れてもらうことができました。
検査の結果、小脳で脳内出血が起きていることが判明したときには、倒れてから既に数時間が経過していたため出血が広がっていたのですが、院長先生が、手術できるかできないかのギリギリ状態ではありますが、一か八か手術してみましょうと決断してくれました。
手術はひと晩かかりましたが、何とか一命をとりとめることができ、手術翌日には院長先生から、またご夫婦で散歩ができるようになると良いですねと声をかけられました。
しかし、手術をしてから約3日後に誤嚥性肺炎になってしまいました。
より一層の誤嚥を防止するために気管切開をしたため、会話をすることはできませんでしたが、肺炎は完治しました。
術後しばらく経過して体力的にも精神的にも落ち着いてくると、父親が家に帰りたいというジェスチャーをするようになり、渡辺真理さんと母親もできることならそうさせてあげたいという気持ちでしたが、そう簡単に自宅には帰れないため、父親を励まし続ける日々が続きました。
若い頃からずっと夫婦2人で一緒にいたため、病院と自宅とで離れ離れになることに不安を抱いていたら、担当の看護師さんに簡易ベッドを用意してもらうことができ、それ以降は父親の病室に母親も寝泊りをするようになりました。
脳外科病院での入院期間は半年間にも及び、その後リハビリテーションセンターがある総合病院に転院して1年間入院しましたので、入院期間は合計1年半にも及びました。
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父親の手術と入院、そして誤嚥性肺炎に気管切開と、短期間に次々と大変なことが起き、ショックと動揺に見舞われた渡辺真理さんでしたが、それ以上に今やらないといけないことに追われる日々が始まりました。
父親が亡くなると母親の心労は計り知れないものになるためまずは命を助けたいという思いがありましたし、それに加えて父親の仕事関係や家計のことも考えなければならない状況でした。
渡辺真理さんの父親はこれまで、自分一人で商売をしてきたため、渡辺真理さんを含めて家族には一切、仕事関係の引き継ぎ等をしていませんでした。金庫の開錠方法すら知らない状態だったため、開錠業者を探して依頼するところからスタートしました。
期しくも父親が入院した1998年という年は、渡辺真理さんがTBSを退社してフリーアナウンサーになった年でもありましたので、5月からスタートした『ニュースステーション』のサブキャスター業との掛け持ちは非常に大変でした。
ただ、フリーランスだったことから、夕方にテレビ朝日に入って、生放送終了後の深夜12時過ぎには自家用車で帰路に就くことができていました。
その当時は東京都内にワンルームマンションを借りていましたので、生放送終了後から翌日の午前中までマンションで休み、父親が入院している病院に通っていました。
そして2000年に、父親を自宅に連れて帰るという決断をします。自宅に連れて帰ることを強く希望したのは渡辺真理さんではなく母親でした。
もちろん、帰宅するためには切開した気管を閉じる必要があったため、主治医からは誤嚥する可能性があると告げられたのですが、父親のことを思う母親の気持ちを尊重して最終的には渡辺真理さんが決断し、父親を自宅に連れて帰ることになりました。
父親の要介護レベルは5でしたので、帰宅してから14年間の介護生活はとても大変なものでした。
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父親の16年間の介護生活が経過していく中で、母親の要介護度も少しずつ進行していき、2014年に仲の良かった父親が亡くなるとこれまでにも増して要介護度が進行しました。
父親が亡くなった直後に腰椎と胸椎を圧迫骨折して以降は、ベッドから起き上がれなくなってしまい、心臓が弱っていきました。
最終的には老衰で亡くなったのですが、亡くなる際には小さく一息をついて眠るように旅立たれたそうです。
父親と母親の介護期間は20年にも及び、精神的にも肉体的にも相当過酷な経験をされた渡辺真理さんですが、現在はテレビの仕事やナレーション業、さらには司会業と幅広く活動をしています。
テレビ東京系で毎週土曜日に放送されている『知られざるガリバー〜エクセレントカンパニーファイル〜』ではナレーションを担当していて、その合間に不定期ではありながらもイベントの司会業もこなすなど、充実した日々を送っています。
渡辺真理は現在横浜の一軒家に住んでいる
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渡辺真理さんは現在、生まれ育った横浜にある実家に住んでいて、そこは座敷や縁側がある、典型的な和風の一軒家です。
この後詳しくお伝えしますが、2008年に結婚した当初は、旦那さんが所有しているマンションと横浜にある実家を行き来する生活をしていたのですが、両親の介護をするようになってからは、横浜の実家で暮らすようになりました。
夜の番組を担当しつつ介護をしている渡辺真理さんのことを心配して、旦那さんの方から一緒に横浜の実家で住もうという提案があったのです。
ただ、その実家は渡辺真理さんの祖父が建てた家でしたので、すでに築60年を超えていたため、大規模なリフォームが行われました。
渡辺真理の夫は高井一郎
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渡辺真理さんは2008年8月27日に、フジテレビプロデューサーの高井一郎さんと結婚しました。結婚した当時の渡辺真理さんの年齢は41歳、高井一郎さんの年齢は45歳でした。
お互いに初婚で、馴れ初めは八木亜希子さんからの紹介でした。八木亜希子さんは渡辺真理さんの中学・高校(横浜雙葉中学校・高等学校)の2年先輩になります。
先輩である八木亜希子さんが2渡辺真理さんと高井一郎さんを引き合わせ、出会ってから3か月、交際がスタートしてから2か月でのスピード結婚でした。
お互いにいい大人で、生活リズムもそれなりにでき上がっていた状態での交際3ヶ月でしたので、ラブラブな関係とかふわふわといした感じはほとんどなかったそうですが、お互いに惹かれ合う部分があり、結婚に至りました。
渡辺真理さんと旧知の仲にある糸井重里さん・樋口可南子さん夫妻が婚姻届の証人となりました。
渡辺真理と夫高井一郎の間に子供はいない
渡辺真理さんと高井一郎さんの間に子供はいません。
結婚した当時の渡辺真理さんの年齢がすでに41歳だったということも子供がいない原因の1つだと思われますが、先ほどもお伝えした通り、ご両親の介護が長く続きましたので、子供よりも両親のことを優先させたというのもその原因の1つだと考えられます。
横浜雙葉中学校・高等学校時代の先輩である八木亜希子さんも、渡辺真理さんと同じく子供がいませんので、もしかすると尊敬する先輩と同じ生き方をしようと思っているのかもしれません。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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