永井真理子が現在は歌手活動再開!シドニー移住理由は子供や旦那のためではなかった

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今回は、歌手の永井真理子さんについてご紹介します。

90年代の音楽界で大活躍していた永井真理子さんが休業から復帰し、現在は歌手活動を再開させています。途中でシドニーに移住した理由は子供yuuaのためではなかったとのことなのですが、移住した本当の理由は何だったのでしょうか。旦那である廣田コージさんとの馴れ初めや結婚生活についてお伝えします。

永井真理子が現在は歌手活動を再開!年齢を感じさせないのが凄い

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永井真理子さんは1993年に結婚し、1996年に長男を出産したことをきっかけに、その後約1年半音楽活動を休止していました。

世間一般でいうところの育児休業期間を経て、1997年にかつて所属していた株式会社BMG JAPAN(現在のアリオラジャパン)から東芝EMIに移籍し、1998年の大晦日には福岡県北九州市にあるスペースワールドで行われたザッツ・カウントダウンライブのメインステージに立ち、歌手活動の本格復帰を果たしました。

その後2003年1月、長男が6歳の時にオーストラリアのシドニーに家族全員で移住しています。シドニーへ移住してからは自主レーベルであるBLUE TONGUEを立ち上げ、様々なアーティストに対して楽曲を提供するなどの音楽活動を続けていたのですが、本業である歌手としての活動はほぼ休業状態でした。

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このまま歌手としての活動はしないのかと思われましたが、デビューしてから30周年にあたる2017年に、11年ぶりの新曲を盛り込んだミニ・アルバム『Life is beautiful』を、永井真理子さんのデビュー日である7月22日に配信限定でリリースしました。また、2017年10月14日、15日には東京・Last Waltz by shiosaiでスペシャルライブを開催するなど、本格的に歌手活動を再開させました。

その後も歌手としての活動は継続していて、2018年7月26日には『ORANGE』を、2018年12月1日には『僕らのBig Power』を発売するなど精力的に活動しています。スペシャルライブや音源を聞いた人によると、2024年時点で58歳になるとは思えないほど歌声が冴えわたっていて、年齢を感じさせない凄さを感じたという声が方々から上がっていました。

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表舞台で歌を歌っていなかった間も、ボイストレーニングや喉のケアを怠らなかったのでしょう。とても復帰直後とは思えない声量と歌声で、会場に集まったファンを魅了していました。

永井真理子さんのプロ意識の高さを感じることができる一面でした。

永井真理子がシドニーに移住した理由は子供yuuaや旦那のためではなかった

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永井真理子さんがシドニーに移住するきっかけとなったのは、アルバムのレコーディングをアメリカで行った際に、日本では感じることができないような刺激を受けたことでした。

芸能人に限らず、最近では子供ができてしばらく経った後に海外へ移住するケースも散見されますが、その理由の多くが子育てや子供の教育のためであると言われています。永井真理子さんがシドニーに移住した際にも、移住理由は子供のためだと言われていたのですが、実際には違ったようです。

永井真理子さんが長男の裕亜(ゆうあ)さんを出産したのは1996年11月18日(永井真理子さんが29歳のとき)で、シドニーに移住したのは2003年1月(永井真理子さんが36歳のとき)、裕亜さんが6歳の頃でした。突然シドニーにある現地の学校に通うことになったため、小学校入学前の裕亜さんはとても戸惑ったそうです。

右も左も分からない裕亜さんは、1人でお弁当を食べたり、周囲にいる同級生に対して「Are you Japanese?」と聞いて回ったりしていたということです。ですがそんな生活もそう長くは続かず、通い始めてから3ヶ月後には金髪の可愛い男の子の友達ができたそうです。

永井真理子の子供裕亜(ゆうあ)は超高学歴な音楽家

裕亜さんは幼い頃から音楽を聴くことが大好きで、ほぼ毎日音楽とテニス漬けの日々(テニスの腕前も折り紙付きで、シドニーで行われたジュニアテニス大会での優勝歴あり)を送っていました。2003年にシドニーに移住して以降2013年に日本に帰国するまでの約10年間、現地の音楽はもちろんのこと様々な国の音楽を聴いたことが大きく影響したのでしょう、帰国後も音楽に触れ続ける日々を送りました。

永井真理子さんの教育方針は、好きなことを好きなだけさせるというもので、英才教育めいたことは一切しなかったそうです。帰国後は東京都立国際高等学校に転校し、これまでと変わらずに自分の好きなことに没頭する高校生活を送りました。東京都立国際高等学校は偏差値が68を誇る超名門校で、卒業後は早稲田大学国際教養学部に進学しました。どのような経緯で早稲田大学に進学したのかまでは明らかにされていませんが、推薦入学だったとしても難関であることに違いはありませんので、裕亜さんが頭脳明晰優秀であることは明らかです。

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2020年3月に早稲田大学を卒業した後、YouTuberゆうあ。 / YUAとして活動しつつ、2020年にはバイリンガルシンガーソングライターyuuaとしての活動も開始するなど、母親と同じ音楽の道を歩んでいます。

子供に好きなことを好きなだけさせるというのは、親としてとても勇気と思い切りの良さが求められることですが、永井真理子さんの決断力や判断力が、今の裕亜さんの成功に相当程度寄与したことは間違いありません。

永井真理子が歌手活動を再開した本当の理由

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永井真理子さんは2017年頃からライブを中心とした音楽活動を再開しました。音楽活動を再開させた理由に関して、本人の口から発表されたわけではないのですが、ご本人のSNS等を通じて伝えられている内容から察するに、ファンとの密な交流を大切にしたいからだと考えられます。

コロナ禍にあってもいち早く配信ライブを敢行したり、SNSで常にファンに向けた情報発信や現状報告を欠かさない姿勢からも、永井真理子さんがファンのことをとても大切にしていることが伝わってきます。

子供の頃はとてもおとなしい性格で、自分の気持ちを人に伝えることができない引っ込み思案だった永井真理子さん。そんな性格だった彼女が一変したのは、音楽と出会ったことでした。音楽を通じて自分の感情を表現することを知ってからは、自分の思いを人に届けることの楽しみや喜びを見出し、創作する歌詞は自分自身に対する問いかけの気持ちで作っているということです。

子育てを卒業し、これからはもっともっとファンとの交流を増やしながら、これまで以上に音楽活動に没頭していく永井真理子さんが見られそうです。

永井真理子が結婚した旦那は音楽家の廣田コージ

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永井真理子さんは、1993年7月31日に横浜スタジアムで行われたライブ公演2回目のアンコールの際に、ステージ上でツアーバンドである「Hysteric Mama」のギタリスト・廣田コージ(COZZi)さんと婚約したことを発表しました。その後1993年10月13日に、 東京ユニオン・チャーチで結婚式を挙げ、音楽関係者や親しい友人知人が招かれていました。

永井真理子さんは、廣田コージ(COZZi)さんと出会って以降、ファン層が切り替わる程音楽性が変化したと言われています。今から10年ほど前の話ではありますが、旦那さんについて、時には親友であり兄貴でもあり、またある時には先生でもあり弟でもあり息子でもありと、とても不思議な存在だと語っていたことがありました。

永井真理子と旦那廣田コージの馴れ初め

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永井真理子さんのバックバンドを務めていたのが廣田コージ(COZZi)さんで、仕事を通じて知り合いました。出会った当初はボーカルとバックバンドのメンバーというだけの関係だったのですが、永井真理子さんが23歳の頃に転機が訪れます。

20歳でデビューして以降2、3年はとにかくがむしゃらに働き続ける日々が続いていたため、自分自身の事を顧みる機会がほとんどない状態でした。自分がどこにいるのか、 次に何をしたいのかもわからないような毎日を過ごす中で、今の自分が本当にやりたいことができているのか不安に思う日々が始まりました。そんな苦しい状態にあった永井真理子さんにそっと寄り添ってくれたのが廣田コージ(COZZi)さんでした。

永井真理子と旦那の夫婦関係は良好で離婚の可能性はゼロ?!

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永井真理子さんのSNSには、2019年のお正月に家族3人で初詣に出かける様子がアップされています。そしてそれ以降も、しばらくは家族の様子が綴られたりもしていたのですが、コロナ禍以降は家族に関する情報発信は減り、ご自身の音楽活動や日常の様子に関する発信が増えました。

ですが、結婚生活約30年の間に大きなトラブルはなく、夫婦関係は良好のようですので、離婚する可能性は非常に低いと考えられます。夫婦円満、家庭円満な永井真理子さんの今後の活動に、引き続き注目していきたいと思います。

永井真理子の現在の自宅は不動前

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永井真理子さんはオーストラリアから帰国して以降、東京都内に住んでいますが、具体的な住所は不明です。インターネット上では、東急電鉄の不動前駅近くに住んでいるとの情報がありますが、不動前は永井真理子さんがオーストラリアへ移住する前に住んでいた場所のようです。

不動前に住んでいたのはデビューしてから約7年間で、その間にヒット曲(『Miracle Girl』や『ZUTTO』)が生まれたり、結婚、出産、オーストラリアへの移住決断など、人生の大切な時期が含まれていましたので、永井真理子さんにとって不動前での生活はとても印象深いそうです。

今は不動前に住んではいないのですが、不動前駅に降り立つと必然的に「ただいま」と呟いてしまうほど、思い入れの強い場所となっています。不動前は東京都心から近過ぎず、遠過ぎずの立地が一番の魅力で、数多くの神社仏閣が多いため、永井真理子さんにとっては静かに見守られているような安心感が得られる場所だとか。住んでいた当時はもちろんのこと、今でもライブの前には近所にある目黒不動尊にお参りをして、成功を祈願しているそうです。

不動前は永井真理子さんにとって人生の原点とも言うべき場所なんですね。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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