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今回は、女優の加藤あいさんについてご紹介します。
加藤あいさんの出身地や出身中学が甚目寺だと言われているのですが、本当なのでしょうか。早速調べてみました。
加藤あいの出身地区は甚目寺町
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加藤あいさんのプロフィールを見てみると、1982年12月12日生まれで愛知県清須市出身であると書かれていますが、調べてみると、生まれたのは愛知県清須市ではなく、愛知県海部郡甚目寺町であることがわかりました。現在は、2010年に行われた市町村合併により、甚目寺町は、海部郡美和町、七宝町と合併してあま市となりました。
実家は家業を営んでおり、加藤あいさんのお祖父さんの代から続いているようです。具体的な家業の内容までは明らかになっていませんが、自営業であるため、学校から家に帰ると両親がいたことから、子供の頃の加藤あいさんは寂しい思いをすることなく、常に家族3人が仲良く暮らしていたということです。
一人っ子の加藤あいさんが誕生したとき、母親は32歳、父親は34歳でした。待望の子供だったようで、大切に育てられました。
6歳の頃からピアノ教室に通っていて、中学3年生までピアノを習い続けていました。
自営業ということで、会社の業績が思わしくない時期もありましたが、加藤あいさんの両親は、子育てや子供の教育にしっかりとお金をかけていたことがわかります。
結婚して自分の家庭をもった今も、実家の両親とは非常に仲が良いそうで、仕事や育児・家事の合間を見つけては実家に帰省しています。
ちなみに、加藤あいさんの出身地が、インターネット上で愛知県西春日井郡新川町(現清須市)となっているのは、あま市(旧・甚目寺町)の栄地区が、愛知県最大の被差別部落だからではないかと言われています。
加藤あいさん自身が被差別地域出身であることを公言しているわけではありませんが、甚目寺が被差別地域であることを地元の人なら誰しもが知っているため、加藤あいさんが被差別地域出身者だということを当初から知っている人も多かったそうです。
本当、甚目寺のスターだ♡女優の加藤あいちゃんも小学生半ばまで甚目寺小にいたんだっけ。隣の清須市は鳥山明先生の地元。清洲ストアで偶然頂けたサインは20年以上たった今も大切に飾ってある〜!あと夢をかなえるゾウの作者さんも清須市出身だそう。田舎だけど地元のスターがたくさんいて嬉しいな。
— ともちん (@tomochin666) 2015年8月19日
加藤あいさんの家は、加藤あいさんが小学生の頃に新川町に引っ越しをしているのですが、それもこれもすべては一人娘の将来を考えてのことだと思われます。
相手の「37歳会社役員」というのが、どのレベルの会社の役員なのか不明だが、NYに出張するくらいだからそれなりの人物の可能性が高そう。現在では部落差別が殆ど存在しない事の良い例だろう。 http://t.co/wIsNSdR6sj 加藤あい結婚「子供も1人か2人」
— 佐々木 (@WBJPPP) 2013年11月14日
こちらは、加藤あいさんが結婚したときのニュースを見た人の投稿です。出身地や育ちで人を判断する悪い風潮が根絶される日が1日でも早く訪れてほしいです。
加藤あいは小学校を転向し中学受験を経験していた
ピアノを習い始めたときとほぼ同じくして、加藤あいさんは地元の甚目寺南小学校に入学します。そして入学して間もなく、清須市立新川小学校に転校しました。
将来は弁護士か客室乗務員になりたいという夢をもっていたため、小学4年生の頃からは進学塾に通いながら勉強に励んでいました。
加藤あいさんが人生で初めて受験を経験したのは中学受験でした。受験先は、南山中学校女子部、東海中学校、愛知淑徳中学校などだったと思われますが、試験本番当日、極度の緊張からパニック状態に陥ってしまい、本来の力が発揮できないまま不合格となってしまいました。
私立の中高一貫校に合格することができず、弁護士か客室乗務員を目指すというビジョンが崩れたわけですが、切り替えの早い加藤あいさんは、地元の清須市立新川中学校に入学し、新たな道を歩み始めました。
剣道部に所属し、学級委員も務めるなど、忙しい中学校生活を送る傍らで、自宅から140キロ以上離れた名古屋市内にある有名なダンススクールにも通っていました。そして、そのダンススクールの友人から、芸能事務所のオーディションを受けないかと誘われました。
初めのうちは戸惑っていた加藤あいさんですが、意を決して書類を送付したところ、書類審査を通過し、面接を受けに来てほしい旨の電話が自宅(加藤あいさんの母親)にかかってきました。
事情を詳しく知らない母親は、手塩にかけて育てた一人娘を芸能界に行かせることに対して、どうしても納得がいかず、事務所からの面接の誘いを断りました。
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通常であれば、そのまま話が流れる場面ですが、このときは状況が違っていました。いったんは母親から断られた事務所側が、次の手に打って出たのです。面接の代わりに、自己紹介用のビデオテープを送るように言ってきました。
そうまでして加藤あいさんにアプローチしてきたわけですから、ビデオテープ審査の結果も当然合格。結局、面接を一度も経ないまま、芸能事務所に入所することが決まりました。
何もかもがトントン拍子に進んだ恰好ですが、加藤あいさんの芸能活動第一弾は、学研から発売されていた雑誌『ピチレモン』のジュニアモデルでした。
当時は、モデルの仕事が入るたびに愛知から東京へ上京する生活を続けていましたが、これまでのモデル活動だけではなく、ドラマ出演のオファーが入るようになりました。
1997年4月から6月にかけてフジテレビ系で放送された『ギフト』の第1話に出演し、見事ドラマデビューを果たします。そして、芸能活動がますます忙しくなってきたため、中学3年生の6月に上京することを決めました。
上京した後は、堀越高等学校トレイトコース(旧・芸能活動コース)に通いながら、学業と芸能活動の両立を図っていました。
1999年には、テレビ朝日系で放送された『ベストフレンド』で、連続ドラマ初主演を果たし、10社以上のCMに登場したことがきっかけでCM女王と呼ばれるなど、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで、女優としての階段を着実に登っていきました。
その後、亜細亜大学国際関係学部に進学し、国際法を専攻しました。ちなみに、卒業論文のテーマは、「国際法上のテロリスト」でした。
一般人男性と結婚し、2人の子供が生まれ、新たな家族とともに幸せに暮らす加藤あいさん。現在は芸能活動をセーブしていますが、子育てが落ち着き、本格的な活動を再開する日を楽しみに待ちたいと思います。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。