今回は、タレントの千秋さんについてご紹介します。
千秋さんの実家がお金持ちだという情報は昔からありましたが、父親の会社(実家)は日本板硝子で出川哲朗さんとの関係が注目されています。千秋さんはテレビ番組で父親の会社について、世界でたった5万人しかいないとの驚きの発言、実家の場所(住所)が青葉台だとの噂も含めて詳細を調べてみました。
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千秋の父親藤本勝司の会社は日本板硝子で元社長!学歴も凄い
千秋さんの父親は藤本勝司さんです。この方の経歴を聞いて度肝を抜かれました。京都大学卒業(その後、京都大学大学院工学研究科修士課程も修了)後、日本板硝子株式会社に入社し、54歳で取締役、58歳で常務、60歳で社長、64歳で会長を歴任した超エリートだったのです。
日本板硝子ってイギリスの大きなガラスメーカー買収して、イギリス人社長だったのね。その社長が56でリタイヤ生活入りで、以前社長だった65才の会長が復帰。日本人っていつまでも働くよねえ。って記事を、ビジネス誌でふーんって読んでたのだが、この65才の会長ってのが千秋の父親だったのかっ!
— yoshi_ok (@yoshi_ok) 2009年9月8日
兵庫県出身で、灘高等学校に次ぐ難関校である甲陽学院高等学校卒業後に、京都大学工学部工業化学科に進学しました。
京都大学では大学院進学後に、研究者になる道を誘われたこともあったそうですが、自分は基礎研究ではなく、大学・大学院を通じて学んだことを少しでも社会に役立てたい、モノづくりの現場にいたいという気持ちを優先させて、研究者としてではなくエンジニアの道を選択しました。
千秋の父親藤本勝司の資産や年収が凄い
藤本勝司さんは70歳で会長職を辞任して以降も、取締役、相談役として会社の経営に関与し続けていました。会長職を辞任した2013年の役員報酬は1億1100万円だったようです。
また、総資産額は10億円を下らない(預金や株、そして自宅や別荘といった不動産なども含む)とも言われています。
タレントの千秋の父親が日本板硝子の会長というのは知っていたが、加瀬亮の父親が双日会長で、アンジェラ・アキの父親がイーオンの創業社長だということは知らなかった。これって有名?
— 嶋田毅 グロービス出版(電子)発行人 (@TYS_Shimada) 2012年4月16日
芸能界には意外にも財界人の子供が多いんですね。ちなみに、千秋さんの親族には層々たる面々が揃っています。
千秋が父親を紹介したときの世間の反応がヤバい
出典:bunshun.jp
千秋さんが2024年3月6日にフジテレビ系で放送された情報バラエティ番組『ぽかぽか』にゲスト出演した際に、父親について言及するシーンがあり、藤本勝司さんのことを以下のように紹介していました。
父親は千秋さんが幼い頃は一般社員でそこから昇進したので大したことはない
ガラスのマジックミラーや防弾ガラスを作るガラス会社である
父親は技術屋だった
大した会社ではなく、社員は世界でたったの5万人しかいない会社
両親ともに高学歴だから、普通に勉強すれば東大に行けるでしょというプレッシャーがあった
家で読める漫画はドラえもんだけだった
この話を聞いてスタジオ内はどよめいていました。
千秋の父親藤本勝司と谷口一郎との関係は?家系図が凄いことに
藤本勝司さんを検索すると、谷口一郎という人物名がヒットするのですが、どういう方なのでしょうか。調べてみると、この方は千秋さんからすると叔父(母親の兄弟)にあたる人物だそうで、2009年にお亡くなりになるまで、実業界をリードしてきた人物でした。
三菱電機の社長職や会長職、さらには社団法人日本経済団体連合会宇宙開発利用推進委員会委員長を歴任した経済界の重鎮的存在でした。
谷口一郎さんは、すでに亡くなっていますが、生前は不言実行を信条として、「何も実績を上げずに構想だけ語っても意味がない」と、自身が所属する会社や組織だけではなく、経済界を盛り上げようと尽力しました。
周囲の人たちからはとても実直で誠実な人だと言われていたようです。
京都大学理学部物理学科を卒業した後、三菱電機では技術者として軍事分野や宇宙開発分野で様々なキャリアを積み重ね、三菱電機のトップにまで登り詰めました。
晩年には、内閣総理大臣が行う所信表明演説の演説内容に科学技術分野の話題がほとんど入らないことに対して注文を付けたりと、経済界だけではなく政界に対しても強い発言力を持っていた逸材でした。
この他にも、千秋さんの親戚には、医師、弁護士、大学教授などが数多くいる秀才一家です。
千秋の父親藤本勝司の妻はただの専業主婦ではなかった
藤本勝司さんの妻(千秋さんの母親)は専業主婦として、家族をサポートしてきました。ただ、実の兄弟に財界の重鎮になるほどの人物が複数いることから、ただ単なる専業主婦ではなく、高学歴の持ち主であることはほぼ間違いありませんが、詳しい経歴については不明でした。
藤本勝司さんは、若い頃から日本板硝子の出世頭として全国を転々とする生活をしてきたことから、千秋さんも転校を経験しています。
新しい学校や土地に馴染むことができずに寂しい思いをする子供が多い中で、千秋さんの不安を取り除いてくれたのが母親でした。
千秋は父親藤本勝司の会社のことを知らなかった
藤本勝司さんは、当時ガラス業界で最大手だった旭硝子に対抗して、グローバル化戦略を推し進めたキーパーソンでした。外国人社長を招聘するなど、常に先を見据えた経営手法で話題を呼んだ業界でもかなり有名な人物だったのですが、娘の千秋さんは、父親の具体的な職業や役職のことを一切知らされていなかったようです。
そのことを如実に表しているのが、以下のエピソードです。
千秋さんは2004年(33歳の時)にファッションブランドを立ち上げたのですが、その立ち上げに協力してくれた人が、「千秋さんのお父様は財界でもよくお名前が挙がりますね」と言ったそうです。
その時、千秋さんは否定したんだそうです。というのも、両親はいつもボロボロの洋服を着て、いかにも貧乏って暮らしをしていたからなのだそうです。
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世帯収入が多くなれば、自ずと派手な生活になってしまいがちなケースが多い中で、千秋さんの家庭の教育方針(お金の教育)は違っていたようです。
千秋さんの母親によると、家のことや仕事の事、そして家族のことを外で大っぴろげに喋ってほしくなかったため、千秋さんに家庭の経済事情を伝えていなかったそうです。
24時間TVでポケットビスケッツ久々に聞いたけど、父親が住友グループ企業の社長で、芸能界入って成功して、立ち上げたブランドは年商50億で、15歳下のTBS社員と再婚した千秋が「もしも生まれ変わっても、また私に生まれたい」って歌うの説得力ありすぎだし、ボクも千秋に生まれ変わりたい。
— みそしる (@sssgantan) 2018年8月25日
若い頃に大ブレイクして以降、現在もずっと芸能界に居続けることができているのも、実家の教育方針がしっかりしていたことと関係があるのかもしれません。
千秋の父親藤本勝司が出川哲朗を絶賛
2017年12月2日にテレビ東京系で放送された「出川哲朗の充電させてもらえませんか?」に千秋さんが出演(京都府舞鶴市でのロケ)した際に、千秋さんの父親が出川哲朗さんに対して驚きの評価を下していたことが判明しました。
千秋さんはロケ中に京都府舞鶴市に近づくと「私の生まれた街!」と興奮気味になりました。
出川哲朗さんと一緒にスクーターで舞鶴市内を走りながら「ウチのお父さんはね」と切り出すした千秋さんは、以下のようにコメントしていました。
キャイ~ンが売れる前で、まだウド(鈴木)さんが世間に認知されていない頃、そして、今のように穏やかではなく尖っていて嫌われ者キャラとしてテレビに出演していた出川哲朗さんについて、千秋さんの父親が千秋さんに対して、『あのふたりは本当にできた人間だから一生大事にしなさい』と語ったそうです。
今から20年以上も前の段階で、実際に会ったこともない人物をテレビ画面上からだけで判断できるのはさすがですね。
改めて、大企業のトップを背負う人間の器の大きさに感服しました。
ちなみに、藤本勝司さんは、娘の芸能界デビューには大反対だったそうです。大切な娘を芸能界という荒波に飛び込ませたくはなかったのでしょう。
芸能界入りに関して家族内で相当もめた挙句、半ば強引に芸能界デビューをした千秋さん。
家族に対して迷惑がかかるような真似だけはしたくないという思いと、家族の力を使って世に出てきたわけではないという意地からか、芸名を「藤本千秋」ではなく「千秋」として芸能界デビューを果たしました。
芸能界入りに大反対をしたものの、娘のことを常に気にかけていた藤本勝司さんは、忙しい仕事の合間を縫って、千秋さんの出演するテレビ番組をチェックしていたのだそうです。
大反対をしたとは言え、やはり父親は娘のことが気になるんですね。
千秋の父親藤本勝司は筋金入りの阪神ファン
藤本勝司さんは、熱烈な阪神タイガースファンであることでも有名です。
プロ野球の阪神タイガースの熱烈なファンである。東京の政財界で初めて作られた阪神タイガース公認の阪神後援会「道一筋会」の発起人を務めています。娘の千秋さんも道一筋会の会員になっており、「父からタイガースファンとしての英才教育を受けた」と語っています。
1985年の阪神優勝の際には、家族と一緒に近所中に約200個の紅白饅頭を配って回りました。また2003年の阪神優勝の際には、当時の監督の星野仙一にちなんで、家族で1001(せんいち)個の紅白饅頭を作り、関係各所に配って回りました。
阪神ファンの熱狂ぶりは、素人の私にも充分に伝わってきていましたが、紅白饅頭を作って配り歩くまでの熱狂ぶりとは思いませんでした。まさに、”阪神タイガース愛”ですね。
千秋の実家の場所(住所)は千葉県青葉台で金持ち!写真あり
千秋さんの出身地を調べてみると、千葉県市原市青葉台となっていますので、生まれた当時は千葉県市原市に住んでいたのでしょう。
ですが一方で、大森だとの情報もあります。
具体的には東京モノレールの昭和町駅が最寄り駅になります。住所は東京都大田区大森東5丁目で、大森東避難橋付近だと推測されます。
ちょうどその頃、父親の藤本勝司さんは28歳でしたので、転勤のために全国を転々とする生活を送っていた最中だったと思われます。
日本を代表する大企業勤務の28歳ですので、そこそこの収入はあったとは思われますが、お金持ちというほどの収入ではなかったはずです。
その後、日本板硝子で昇進を続けていくに連れて収入はぐんぐんと伸びていったことから、実家が大豪邸になったという噂もあります。
こちらの画像に写っている自宅が千秋さんの実家だと言われているようですが、表札などがかかっていないため、ここが千秋さんの実家だと断言することはできません。
千秋の実家と日本板硝子の関係は?会社の社宅で映画のロケに使われた?
先ほどもお伝えした通り、千秋さんは父親である藤本勝司さんの転勤によって、全国を転々とする生活を送ってきたのですが、中でも京都府舞鶴市での生活が長かったそうです。
千秋さんが生まれた場所が京都府舞鶴市で、当時父親の藤本勝司さんは日本板硝子舞鶴工場にフロート方式による板ガラス製造設備が新設される際の主要人物として陣頭指揮にあたっていた頃でした。
千秋さん一家が住んでいたのは舞鶴市内にある日本板硝子の社宅なのですが、この社宅が後に、映画『海賊と呼ばれた男』のロケにも使用されたことがある有名な史跡であることがわかりました。舞鶴赤れんがパークから田井漁港へ向かう途中にあり、全戸木造平屋建てとなっています。
千秋さんの出生地が京都府舞鶴市となっているためでしょうか、千秋さんの実家が舞鶴市にあると錯覚している方もおられるようですが、千秋さんの実家は舞鶴にはありません。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。