麻丘めぐみの姉藤井明美は元歌手で現在は引退し専業主婦!娘立木久美子が後を継いでいた

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今回は、女優の麻丘めぐみさんについてご紹介します。

名女優と言っても過言ではない麻丘めぐみさんの藤井明美さんは元歌手で、現在は引退し専業主婦となっています。の立木久美子さんが後を継いで歌手として活動しているのですが、姉妹関係や親子関係について詳しく調べてみました。

麻丘めぐみの姉藤井明美は元歌手で現在は引退し専業主婦をしている

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麻丘めぐみさんのはかつて歌手として活動していたことがありました。デビュー当初は花里あけみという芸名でしたが、その後、本名である藤井明美名義で活動した後は、立木久美子と芸名を変えて活動していました。

芸能活動を始めたのは若干5歳のときで、大阪梅田にあるアカデミー児童劇団に入り演劇や舞台の基本を学びながらどんどんと場数を踏んでいきました。演劇や舞台のことを学んでいくうちに、歌に対する興味がふつふつと沸いてきたため、中学2年生(14歳)のときに歌手を目指して上京しました。上京した年の5月からは、作曲家の遠藤実さんの元で歌謡歌手として修業を積み始めました。

自分で決めて進んだ歌謡歌手としての道ではありましたが、下積み生活はかなり厳しく、1人暮らしをしていたため栄養失調になり倒れてしまいます。このことがきっかけで、大阪に住んでいた母親と、当時小学5年生だった妹の麻丘めぐみさんが上京し、杉並区にあるお風呂のない1DKのアパートで親子3人での生活をスタートさせました。

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これまでとは打って変わって、家族と一緒に生活していることによる気持ち面での安心感や食事面でのサポートのおかげで、1967年3月にレコードデビューを果たすことができました。デビュー当時の年齢は15歳と若かったため、世間の注目を集めていましたが、レコードの売り上げは決して芳しいものではありませんでした。

その後も1967年から1968年にかけてシングルを立て続けに3枚リリースしたのですが、どれも売り上げは奮いませんでした。

そこでしばらく冷却期間を設けるためと学業優先の意味を込めて、歌手活動を休止し高校生活に力を入れるスタンスに変更しました。高校在学中は特にこれといった音楽活動は行わず、高校の授業や学校行事に専念し、無事に高校を卒業し、心機一転、新たに歌手活動を再開させます。

高校卒業後の1970年には、以前の芸名である花里あけみではなく、本名藤井明美として歌手活動を再スタートさせました。1970年から1971年にかけてはシングル曲を4曲もリリースするなど、これまでにないほどハイペースで歌手活動を行っていましたが結果が伴わず、どの曲もヒット曲となることはありませんでした。

1972年には、藤井明美からふじいあけみへと名義を変えて新曲をリリースしましたがヒットに恵まれることはなく、1974年に立木久美子名義でリリースした新曲も鳴かず飛ばずの結果となりました。

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これまで何度も何度も再起を図ってきた藤井明美さんでしたが、ついに歌手活動を終了させる決断をします。1975年3月には雑誌社のカメラマンと結婚し、芸能界を引退しました。旦那さんとの具体的な馴れ初めは明らかにされていませんが、カメラマンですので撮影か何かの仕事で一緒になったことが出会いのきっかけなのかもしれません。

そして1978年頃には、長女を出産しています。

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現在は歌手活動は一切行っておらず、専業主婦として家族のサポートに徹しています。ただし、完全に無職というわけではなく、不定期にではありながらも歌のレッスン講師や着物の着付け講師として細々と仕事をしてはいるようです。

麻丘めぐみの姉藤井明美の娘立木久美子が後を継いで歌手に

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先ほどもお伝えした通り、藤井明美さんは現在、専業主婦として家族のサポートに徹していますが、1978年頃に生まれた長女が2006年に歌手デビューしたことが判明しました。芸名は母親の芸名を受け継いで立木久美子名義で活動しています。

高校を卒業した後、語学留学のために単身でアメリカに渡りました。帰国後は東京都内でOLとして働いていましたが、ずっと子供の頃から思い描いていた歌う仕事に対する気持ちを捨てきることができず、母親や叔母である麻丘めぐみさんと同じ歌手としての道を歩むことを決めました。

2007年には『大切なもの』と『Smile Again』を、2008年には『虹色のカメレオン』をリリースするなど、精力的に活動していましたが、それ以降はリリースされた新曲はないようです。

具体的な活動内容は明らかにされていませんが、小規模のコンサート会場でミニライブを行ったり、福祉施設等への慰問活動を行っている可能性も考えられます。

YouTube上には、小規模な会場でライブをしている様子がアップされていますので、仕事の軸足を歌手としていることはほぼ間違いなさそうです。

麻丘めぐみと姉藤井明美の姉妹仲が良過ぎる

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麻丘めぐみさんと藤井明美さんは2人姉妹ですが、子供の頃から姉妹の仲がとても良いことで有名でした。藤井明美さんが歌手活動をしていた頃には、東京で母と娘3人で暮らしていたことをお伝えしましたが、藤井明美さんの給料と、父親からの仕送りだけでは生活していくことが難しかったため、藤井明美さんのサポートで働きに行くことができないお母さんに代わって、当時小学生だった麻丘めぐみさんがモデルの仕事を始めることになりました。

麻丘めぐみさんは、小学生の頃から卓越した可愛さに加えて歌唱力も高かったことから、音楽関係者の目にとまり、1972年、16歳にして歌手デビューが決定しました。デビュー曲である『芽ばえ』は大ヒットし、瞬く間に時の人になりました。

妹が売れていく様子を目の当たりにしたら、普通嫉妬の1つや2つはするものですが、藤井明美さんの心の中に嫉妬心はなく、自分が妹のことを全身全霊でサポートをしようという気持ちになりました。

麻丘めぐみさんのことを全身全霊でサポートすると決意してからの藤井明美さんの行動は素早く、すぐに付き人となり、麻丘めぐみさんに不必要に迫ってきて触ろうとしたり、いやがらせめいたことをしてくる悪質なファンに対して対峙し、常に麻丘めぐみさんのことを守り続けてきました。

麻丘めぐみの姉藤井明美と娘立木久美子の親子仲が良い理由とは

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先ほどもお伝えした通り、藤井明美さんの長女は、母親の歌手として成功するという夢を受け継いで歌手になったのですが、歌手デビューしてからも藤井明美さんと頻繁にコミュニケーションをとっています。

一般的にみると、母親と娘は親子仲が良いケースが多いですが、藤井明美さんと娘さんの親子仲よ良さは並外れています。それもこれもやはり、母親が若くして歌手デビューしたものの出す曲出す曲全てが鳴かず飛ばずで、歌手としての挫折を味わいながらも懸命に仕事に立ち向かった姿勢と、自分たち家族の健康を常に一番に考えてくれる母親の優しさをしっかりと感じ取ることができているからだと思われます。

コロナ禍では様々な活動に制限が加えられていたため、思うように親子の時間を過ごすことができない時期もありましたが、最近では2人で食事に行ったりショッピングに出かけたりして親子で同じ時間を共有しています。いつまでも親子仲良く過ごしていただきたいと思います。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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