今回は、女優の荻野目慶子さんについてご紹介します。
歌手の荻野目洋子さんの姉で、昼ドラの顔としても有名な荻野目慶子さんが現在は再ブレイク中とのことですが、何をしているのでしょうか。また、夫である岡崎成実さんが産婦人科の医師であるという噂についても検証してみましょう。子供や深作欣二さんとの関係についても詳しく調べてみました。
Contents
荻野目慶子は現在は再ブレイク中
この投稿をInstagramで見る
見事、女優としてのポジションを獲得し直した荻野目慶子さんは、数々の映画やドラマ、舞台に出演しています。
近年では、2013年に公開された映画『つやのよる ある愛に関わった、女たちの物語』に出演し、愛人役として視聴者の印象に残る演技を披露し、その存在感を見せつけました。
中でも、小泉今日子さんとのワインの掛け合いバトルは、映画を見た人たちだけではなく、映画関係者の間でも話題になりました。
また、映画以外でも2013年1月に行われた舞台『阿修羅のごとく』に出演し、翌年の2014年には、舞台『殺風景』にも出演しています。
さらにはテレビ朝日系で放送された『科捜研の女〜年末スペシャル』や、テレビ東京系で放送された『怪奇恋愛作戦』にも出演するなど、テレビドラマでも活躍を続けています。
一時期のように主役をはったり、頻繁に映画やドラマに出演するということはなくなったものの、ベテラン女優としての存在感で視聴者を楽しませていることから、再ブレイクをした女優とも言われています。
2018年になって数日しか経ってないのに荻野目慶子が再ブレイクしたり、封神演義やらカードキャプターさくらやらが新作アニメ始まったり、必殺仕事人で藤田まことが(映像で)蘇ったりで過去と現在の時間軸がブレまくってて困惑する。
— 白銀屋 (@rock60JoGio) January 7, 2018
このように、仕事面ではとても充実している荻野目慶子さんですが、プライベートはどうなっているのでしょうか。
荻野目慶子は現在は結婚していて夫は医師
この投稿をInstagramで見る
荻野目慶子さんは、2012年12月31日に一般男性と結婚しました。そのお相手の職業が医師であるという噂があるのですが、本当なのでしょうか。詳しく調べてみました。
荻野目慶子の夫(岡崎成実)の経歴は産婦人科の医師で馴れ初めは紹介
荻野目慶子さんの旦那さんは岡崎成実さんだと言われています。荻野目慶子さんよりも2歳年上で、新宿レディースクリニックをはじめとして、複数のクリニックを経営している産婦人科医です。
馴れ初めは、知人の紹介で、約5年間の交際を経て2012年の大晦日に結婚しました。交際期間が長かったのは、岡崎成実さんがバツイチだからと考えられます。一度結婚に失敗している身ですので、相手をじっくり見ようという意識が働いたのだと思われます。
岡崎成実さんは外食が多いため、少しでも旦那さんの健康状態を良くしたいとの思いから、荻野目慶子さんは旦那さんに手作り弁当を持たせたり、料理学校に通ったりと、女優らしからぬマメな新妻ぶりを発揮していたようです。
映画監督と不倫をしていた頃とは打って変わって、夫をサポートする良き妻として、女優業と主婦業を上手に両立させているようです。
荻野目慶子の夫(岡崎成実)はアトピーのアイテム開発者
この投稿をInstagramで見る
岡崎成実さんは、産婦人科医として活動する一方で、DR.C医薬株式会社の代表取締役社長も務めています。DR.C医薬株式会社は、花粉やハウスダスト、カビ等のタンパク質を分解して水に変える、独自のクリーン技術をもつ会社です。
当社が開発した数々の商品の中には、アトピーやアレルギー対策のアイテムが非常にたくさんあります。
花粉を水に変えるマスクについて調べてみた。
ハイドロ銀チタンというものがたんぱく質を水に変えるというものらしい。
その開発者、岡崎成実先生は産婦人科医であり、女優の荻野目慶子さんの旦那だということがわかった。医師資格の停止処分をうけるなど評判はよくないみたいですね。 pic.twitter.com/MnEzRt55Sz— ゲロ骨粉🐇🐰 (@gerokoltupunn) March 22, 2018
産婦人科医としてだけではなく、花粉症やアトピーなど、日本人の多くが悩みを抱える分野において、岡崎成実さんは日々、社会貢献を続けています。
荻野目慶子の夫(岡崎成実)が過去の医療日記を公開
出典:sankeibiz.jp
岡崎成実さんは、数々の医薬品や医薬部外品を開発していますが、その経緯を過去の医療日記に書き留めているそうです。
そして、その内容を順次、自身のブログでも公開しており、先ほどご紹介したアレルギーやアトピーに悩んでいる人に対してはもちろん、妊婦さんや中絶を考えている人に向けた内容の医療日記も順次公開しているようです。
医者であり研究者でもある旦那さんの多忙な毎日を支える荻野目慶子さん。現在は女優業を少し抑え気味にしていますが、また全盛期のような活躍ぶりを見ることができる日を楽しみに待ちたいと思います。
荻野目慶子に現在子供はいない
この投稿をInstagramで見る
荻野目慶子さんと岡崎成実さんとの間に子供はいません。荻野目慶子さんが岡崎成実さんと結婚した当時の荻野目慶子さんの年齢がすでに48歳だったことから、年齢的に見て出産できるリミットを過ぎていたと思われます。
また、岡崎成実さんは医師としてだけではなく経営者としても多忙な毎日を送っていることから、夫婦水入らず過ごす時間がそれほど多くなかったというのも子供ができなかった原因なのかもしれません。
荻野目慶子が現在は芸能界を引退した説の真相
この投稿をInstagramで見る
荻野目慶子さんは現在も芸能界に在籍しています。ただ、ひと頃のように精力的には活動せず、不定期に講演活動を行ったり、ドラマや舞台の仕事をこなしています。
実母の介護に多大な時間を割く必要が出てきたことが主な原因ですが、2017年には東京グローブ座で行われた舞台『あんちゃん』に、2018年には11月から12月にかけてテレビ朝日系で放送された土曜ナイトドラマ『あなたには渡さない』に出演したりと、最近では女優としての活動のペースが上がってきています。
最近の荻野目慶子さんの様子を見ると、これまでにも増して円熟さが際立ってきており、今後の展開がとても興味深いです。ファンの間では1日でも早い本格復帰を望む声が上がっています。
荻野目慶子の事件の詳細と深作欣二との関係
この投稿をInstagramで見る
荻野目慶子さんは恋多き女として、これまで数々の男性と浮名を流してきました。その中で、荻野目慶子さんの女優人生を大きく左右する事件に遭遇します。いったい何があったのでしょうか。
荻野目慶子と河合義隆の間に事件は起きた
荻野目慶子さんが初めて浮名を流した男性とされているのが、映画監督で演出家でもあった河合義隆さんです。
2人の馴れ初めは、荻野目慶子さんに河合義隆さんが演技指導をしたことでした。当時の荻野目慶子さんの年齢は20歳、河合義隆さんの年齢は37歳でした。
2人の年の差も注目されていましたが、最も注目を浴びたのが、河合義隆さんには妻子がいたということです。つまり、不倫だったのです。
妻子ある身であった河合義隆さんですが、荻野目慶子さんの魅力にとりつかれたようで、仕事以外の時間は家族の待つ自宅には帰らずに、荻野目慶子さんのマンションに入り浸るようになりました。
そんな関係が何と5年も続いたというから驚きです。河合義隆さんの家族はどんな心境だったのかを慮ると心が痛みますが、実は河合義隆さんと荻野目慶子さんとの間では衝撃の修羅場が展開されていました。
女優として評価され、精力的に仕事をこなしていた荻野目慶子さんは、ずっと長い間交際を続けてきた河合義隆さんに対して別れを切り出したのです。
この投稿をInstagramで見る
いくら不倫とはいえ、5年間もの間関係が続いたわけですから、突然の告白に対して河合義隆さんは相当なショックを受けたようです。
そして1990年……事件は起こりました。地方ロケから帰ってきた荻野目慶子さんが発見したのは、キッチンとリビングの間のドアに、マフラーで首を吊っている河合義隆さんの変わり果てた姿。警察の事情聴取に、荻野目慶子は、河合義隆が「別れるぐらいなら死にたい」と言っていたと、涙ながらに語ったそうです。
交際相手に起こった突然の出来事によって、失意のどん底にいた荻野目慶子さんですが、その約1年後に新たな交際相手が現れました。
荻野目慶子と深作欣二監督の壮絶な過去とは
河合義隆さんの事件直後は、精神的苦痛を訴えており、女優業がままならない状態で、半休業状態が続いていました。そんな姿を見かねたとある映画監督が、荻野目慶子さんに救いの手を差し伸べました。
その映画監督というのが、荻野目慶子さんの復帰作とも言える映画『いつかギラギラする日』の監督である深作欣二さんです。
当時の荻野目慶子さんの年齢は28歳、深作欣二さんの年齢は65歳でした。交際スタートは半ば強引だったとの噂もあります。監督と出演者という関係上、荻野目慶子さんは深作欣二さんからの一方的なアプローチを断り切れなかったのではないかと言われています。
そういった経緯でスタートした交際でしたので、周囲はすぐに別れるものと思っていましたが、結果的には交際期間は約10年にも及びました。
交際期間が長くなり、周囲も2人の関係を認め始めた矢先に悲劇が2人を襲います。1996年に深作欣二さんが前立腺がんを発病し、闘病生活に入ってしまったのです。
前立腺がんを患っただけでも大変なことですが、さらに壮絶だったのは、ホルモン剤投与による副作用で男性機能が低下してしまうことを避けるため、深作欣二さんは治療に最も有効とされていたホルモン剤投与を拒否したことです。
このことが原因で、当時世間では深作欣二さんが自分の命よりも荻野目慶子さんとの肉体関係を優先させたと批判されていました。
この投稿をInstagramで見る
荻野目慶子さんと深作欣二さんは、入院先の病院でも逢い引きを重ねていたのだそうです。深作欣二さんのホルモン剤投与を受けないという固い意志を打ち砕くことは誰にもできなかったため、2003年に深作欣二さんは前立腺がんの脊髄転移により逝去しました。
2人の大物映画監督と浮名を流した荻野目慶子さんは、当時、世間から相当なバッシングを受けました。それだけではなく、女優としての立場も危うくなりかけました。
ですが、映画やドラマ、CM、イベントなど、あらゆる分野の仕事を精力的にこなした結果、女優としての息を吹き返しました。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。