篠田正浩と岩下志麻が断捨離断行で話題に!結婚50年の道のりが感動的

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出典:nikkan-gendai.com

今回は、映画監督の篠田正浩さんと女優の岩下志麻さん夫婦についてご紹介します。

映画監督の篠田正浩さんと女優の岩下志麻さんが、老後のために夫婦揃って断捨離を断行しました。その背景にあった結婚50年の道のりが感動的でした。

篠田正浩と岩下志麻が断捨離を断行

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篠田正浩さんとである女優の岩下志麻さんは、2019年に夫婦それぞれで断捨離を断行しました。断捨離の目的は今後の暮らしを考えてのことで、長く住み慣れた自宅をリフォームするためでした。

断捨離と言えば、かつて高橋英樹さんが自宅にあった不用品33トンを一気に断捨離し、2019年に自宅をバリアフリーにリフォームしたことで話題になりました。

断捨離をしたときの高橋英樹さんの年齢は72歳で、岩下志麻さんが断捨離を断行したときの年齢は78歳ですので、各々状況は違えども、70代になって今後の人生を考えて終の棲家を少しでも過ごしやすくしたいとの気持ちが働くのでしょう。

断捨離をしているときの気持ちについて岩下志麻さんは、長年の思い出が詰まった物を捨てるのは気が咎めると語っていました。そのため、大量にあった台本やスチール写真やパンフレットやポスターのうち、必要なものだけを事務所に残して、残りの物は松竹大谷図書館(東京都中央区築地にある私立図書館で、演劇と映画に特化した専門図書館)に所蔵されることが決まりました。

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また、お雛様人形は近所にある保育園に寄付し、大量にあった洋服やアクセサリー(特大サイズの段ボールで7箱~8箱分)は友人や知人に全てあげました。結婚するときに仕立てた花嫁衣装は、打ち掛けだけ取っておいて、その他は全てスタイリストさんに引き取ってもらいました。何でも岩下志麻さんの打ち掛けは、近しい女性7人の結婚式で使用されたそうで、その7人は誰も離婚していないとか。岩下志麻さん曰く、その打ち掛けは縁起が良いそうです。

一方の篠田正浩さんはと言うと、これまでに積み上げてきたおびただしい数の本や資料などをしぶしぶ整理したそうです。昔の資料が見つかる度に2人で懐かしみながら仕訳をしていくため、作業がなかなか進まないこともありました。

大量の私物を処分し終えた後は自宅をバリアフリー化したのですが、リフォーム後はかつて2階にあった篠田正浩さんの書斎を1階に移行させたのですが、岩下志麻さんの部屋はかつてと変わらず2階のままにしました。敢えて階段の上り下りが必要な状況にしておき、自然に足腰が鍛えられるようにしておくためだそうです。

篠田正浩と岩下志麻の結婚50年の道のりが感動的

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2017年に行われたトークショー(1967年に岩下志麻さんと篠田正浩さんが共同で設立した映画製作会社である表現社の50周年を記念したイベント)で、結婚50周年を迎えた2人の結婚当時の秘話が公開されました。

結婚する前の岩下志麻さんは超人気女優で、篠田正浩さんも松竹の箱入り娘だったと表現するほどの人気ぶりでした。そんな時、篠田正浩さんの作品ではない別の映画のキャンペーンから戻ってきた岩下志麻さんに対して篠田正浩さんが声をかけると、岩下志麻さんは「映画館主からこんな寒い土地でこんなにも寒い映画を上演していたのでは、お客さんが来るはずがないと言われた」と報告したのです。

それを聞いた篠田正浩さんは、こんなにも魅力と実力がある女優をこのままにはしておけないと思い、駆け落ちしなければ事態は好転しないと考えたそうです。

篠田正浩さんは結婚と映画製作会社設立以降の50年を振り返りながら、岩下志麻さんと出会えたことは映画監督としてラッキーだったと思うと語っていました。映画という魔物にとりつかれて2人で魔物退治をやってきた50年だったとも語る篠田正浩さんに対して、岩下志麻さんはこれ以上ないという誉め言葉をもらって物凄く感動して涙が出そうになったと語りつつ、篠田正浩さんと出会えたことで、様々な作品で色々な役を演じることができ、本当に今の私があるのは篠田正浩さんのおかげだと思っているとも語っていました。

お互いに尊敬し、感謝し合うことができていて、しかもそれがごくごく自然に言動に現れているとことがとても素敵だなと思います。

篠田正浩と岩下志麻の馴れ初めは将来への危惧だった

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出典:jiji.com

篠田正浩さんと岩下志麻さんが結婚したのは1966年3月3日のことで、結婚した当時の篠田正浩さんの年齢は34歳、岩下志麻さんの年齢は25歳でした。

2人が最初に出会ったのは1960年で、当時は篠田正浩さんが映画『乾いた湖』の主演を探していたタイミングでした。脚本担当の寺山修司さんとともにキャスト選定のための面接をしていた最に、岩下志麻さんが面接会場である神楽坂の旅館に呼ばれ、そこで初めて顔を合わせました。

当時の岩下志麻さんの年齢は19歳だったのですが、ショッキングピンクのショートパンツに金色のペンダントを身にまとった派手ないで立ちで面接をする篠田正浩さんに衝撃を受けたそうです。

選考の結果、見事に岩下志麻さんが主演キャストに選ばれたのですが、岩下志麻さん曰く、なぜ自分が選ばれたのかはよく分からないということです。

その後、岩下志麻さんは篠田正浩さんの映画に立て続けに出演しているのですが、すぐに交際に発展したというわけではなく、しばらくの間は映画監督と女優という仕事上での関係が続いていました。

出典:woman.excite.co.jp

そんな2人が急接近したのは、1964年に上演された映画『暗殺』の撮影中でした。京都太秦の撮影所で撮影が行われていたのですが、夜の時間に空き時間ができたため、そこで初めて2人一緒に食事に行ったのです。初めてであったのが岩下志麻さんが19歳のときで、食事に行ったのが23歳のときでしたので、出会ってから4年間は、食事はおろかお茶をしたこともなかったそうです。

京都市内を流れる鴨川沿いにある先斗町のお店で、2人でお酒を2升も飲んだそうなのですが、お互いに緊張していたせいか、全く酔わなかったということです。

出典:kamogawa-odori.com

そして、映画『暗殺』の撮影が全て終了し、東京赤坂のナイトクラブで映画の打ち上げが行われた際に、岩下志麻さんは当時流行っていたマンボというダンスを篠田正浩さんと踊り、そのときにふと、自分はこの人と結婚するなと直感したそうです。

そしてその場で岩下志麻さんは直接篠田正浩さんに対して、私は監督と結婚するような気がすると伝えたことで、お互いの思いが通じ合い交際がスタートしました。

岩下志麻さんは結婚について、両親は放任主義で、自分の好きなように生きれば良いが、自分のしたことに対しては責任を持ちなさいという教育方針の下で育ったため、家族や親族からは結婚について全く反対の声はなかったと語っていました。

しかし、当時の所属事務所である松竹からは篠田正浩さんとの結婚について大反対を食らっていました。関係者のうちの99%が反対で、連日連夜岩下志麻さんの自宅に松竹の重役が来て、結婚をやめるように説得され続けたそうです。時には諭されるだけではなく怒られたりしたこともあり、プロデューサーからは今後の主演予定作品のリストが渡されたりもしました。

最終的には周囲の反対を押し切って結婚した岩下志麻さんですが、当時を振り返りながら、反対されると逆に火がついて意地になってしまうと語っていました。無事に結婚することができて何よりでした。

篠田正浩と岩下志麻の子供(娘)と孫について

出典:twitter.com

篠田正浩さんと岩下志麻さんには子供(娘)が1人います。1973年生まれで、すでに50代になっています。

一般人ですので画像や名前等は一切公開されていないのですが、中学校から慶應義塾中等部に通っていて、そのままエスカレーター方式で慶應義塾大学まで進学し、卒業後は広告代理店最大手の電通に勤務していたエリートです。

慶応義塾高等学校時代には首席で卒業するほど頭脳が明晰で、巷では慶應義塾大学医学部に進学したのではないかとの噂も出回っていたほどです。実際には医学部ではなく経済学部で4年間、経済学や実学を学び、卒業と同時に電通に就職し、しばらくはビジネスマンとして広告業界で活躍していました。

その後、26歳のときに一般人と結婚(岩下志麻さんは25歳のときに篠田正浩さんと結婚しました)し、2人の男の子を出産し、現在はそのお子さんは大学生と高校生になっています。

コロナ禍でなかなか思うように孫たちと会うことができなかった岩下志麻さんですが、最近では少しずつコロナ前と同じ状況に戻りつつあります。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

岩下志麻の娘は医者ではなく電通社員!慶應卒で頭脳明晰で現在は2児の母

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