今回は、投資家の桐谷広人さんについてご紹介します。
緻密な分析力と冷静な判断力で投資界で活躍中の桐谷広人さんですが、学歴は高卒で大卒ではないようです。資産5億円に到達するまでに経験した極貧時代がヤバかったとのことなのですが、苦節の投資生活の詳細に迫ってみました。億り人になるための秘訣や、桐谷広人さんが結婚する可能性についても考察してみました。
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桐谷広人の最終学歴は高卒
桐谷広人さんの学歴に関して、インターネット上では様々な情報が散見されますが、実際のところ最終学歴は高等学校卒業です。大学進学や海外での留学経験は一切ありません。
そこで、桐谷さんの学歴を時系列で整理しました。
出身小学校は現在調査中
出典:natalie.mu
桐谷さんが卒業した小学校に関する確実な情報は確認されていません。しかし、竹原中学校を卒業されたという事実を踏まえると、学区内にある次の4つの小学校のいずれかに通っていた可能性が考えられます。
候補として挙げられるのは以下の小学校です。
- 竹原小学校
- 竹原西小学校
- 大乗小学校
- 中通小学校
どの小学校に通学していたかは特定できないものの、この地域の学区内に含まれる学校の一つであったと推測されます。
桐谷広人さんが通われていた小学校に関する新しい情報が見つかり次第、こちらのブログに追記していきたいと思います。
出身中学は竹原中学校
出典:nikkei.com
桐谷広人さんの出身校は竹原市立竹原中学校で、同校は竹原市で最も大きな中学校です。
2011年には広島県南部で2番目の規模を誇るマンモス校でもありました。
桐谷広人さんが将棋に興味を持ったのは中学生時代でした。
その当時、友人が骨折したため、付き添いで接骨院に行った際、院長が患者と将棋を指している様子を見かけたことがきっかけです。
彼もその対局に加わり、互角の勝負を繰り広げた結果、院長から「また来い!」と声をかけられ、通うようになりました。
毎日訪れて将棋を指しているうちに、将棋への情熱が芽生えていったのです。
実は、桐谷さんの父親もアマチュア棋士であったことから、家族の影響も少なからずあったのかもしれません。
出身高校は竹原高等学校
出典:diamond.jp
桐谷広人さんが卒業したのは、広島県立竹原高等学校です。
この学校は、1906年(明治39年)に設立された高等女学校と、1942年(昭和17年)に創立された実業学校を前身としています。1948年(昭和23年)の学制改革によって両校が統合され、新制高等学校としての歴史が始まりました。2016年には創立110周年を迎えた伝統ある学校です。
竹原高校は、相撲部が全国大会の常連として知られており、スポーツ面でも優れた実績を誇ります。
有名な卒業生には、南海ホークスで活躍し、400フィート打線の5番打者として3割を打ち、オールスターゲームにも出場した元プロ野球選手・長谷川繁雄氏、そして東京ヤクルトスワローズでプレーした元プロ野球選手・中元勇作氏がいます。
桐谷広人が最終学歴が大卒であるとの情報はデマ
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桐谷広人さんの学歴については、「駒澤大学中退」や「東京大学進学」といった噂が飛び交っていますが、実際のところ、彼は高卒です。
ネット上で「駒澤大学中退」という情報が流れていますが、これは誤情報です。桐谷さんは竹原高校を卒業後、奨励会の入会試験に合格し、プロ棋士を目指す道へ進みました。
なぜ「東大卒」や「駒大中退」といった噂が広がったのかは明確ではありません。しかし、プロ棋士になる難しさを「東大に入るより難しい」と表現することが多いことが一因かもしれません。この言葉がどこかの段階で誤解を生み、「桐谷さんは東大卒」とされてしまった可能性があります。
実際、奨励会入会試験の合格率はわずか8%と非常に狭き門です。その難関を突破してプロ棋士になった桐谷さんは、確かに「東大レベルの頭脳」を持っていたと言えるでしょう。
若い頃の桐谷さんは非常に寡黙で、何かに悩んでいるように見えることもありました。それが現在のテレビ番組での冗舌な姿とはまるで別人のように映る、と当時の仕事仲間も語っています。『月曜から夜ふかし』での早口での会話も、若い頃の静かな姿とは大きなギャップがありますね。
また、彼の記憶力の素晴らしさから、仲間内では「桐谷コンピューター」、略して「桐コン」と呼ばれていました。特に序盤戦の戦法に詳しく、「この将棋は○年○月にAとBが対戦し、こうしてAが有利になった」と即座に説明できるほどでした。しかし、終盤でミスをすることがあり、それが将棋雑誌の記事でよく話題になったこともあります。
桐谷さんの優れた記憶力と知識量が、「東大卒」との誤解を生んだ可能性も考えられますが、その天才的な頭脳には間違いありません。
大学進学をしなかった理由
桐谷広人さんは、大学には進学せず、高校を卒業すると同時にプロ棋士を目指して上京しました。
幼少期から将棋に親しんでいた桐谷さんですが、本格的にその魅力に目覚めたのは中学時代のことです。高校生になると、プロ棋士になる決意を固め、卒業後、単身で上京しました。
将棋の奨励会入会試験に合格し、プロ棋士の道を歩み始めた桐谷さんですが、当時はまだ「棋士の卵」の身。将棋で収入を得ることはできず、アルバイトをしながら厳しい修行の日々を送っていました。
特に桐谷さんを悩ませたのは、将棋界に存在する「20歳までに初段に昇格しなければ退会」という年齢制限です。
18歳で奨励会に入会した桐谷さんには、初段昇格までわずか2年半の猶予しかありませんでした。
最初は「十分な時間がある」と思っていた彼でしたが、現実は厳しく、プロへの道は容易ではありませんでした。
しかし、そのプレッシャーに打ち勝った桐谷さんは、奇跡的な14連勝を果たし、見事に年齢制限を突破。
こうして、桐谷広人さんはギリギリでプロ棋士への道をつかみ取ることができたのです。
桐谷広人が資産5億円を築くまでに経験した極貧時代がヤバい
桐谷広人さんが四段を取得し、プロ棋士になったのは25歳のときでした。
それまでの道のりは平坦ではなく、高校卒業後に日本将棋連盟の新進棋士奨励会に入会してから、実に7年4カ月という長い時間を要しました。
この間、親からの経済的支援もなく、アルバイトで生計を立てながら、ひたすら将棋の道を追求していました。
プロ棋士の対局の記録係をしたり、将棋のレッスンを行ったり、さらには将棋専門誌の発送を手伝って日当を稼いだこともあったといいます。
厳しい日々の中でも、将棋に対する情熱を絶やすことなく努力を続け、ようやく25歳でプロとしてのスタートを切ることができました。
では、そんな桐谷広人さんがどうして資産5億円を築くことができたのでしょうか。
個人投資家として株式投資に没頭!大損経験がバネになっている
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株主優待で生活している
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桐谷広人さんが財を築いた理由のひとつは、徹底した節約と株主優待生活にあります。
桐谷さんは、過去の大きな損失を経験した後、生活を守るために「優待&配当投資」に切り替えました。
桐谷さんが2億円以上の資産を失い、どん底の状況に陥ったとき、株主優待が救いの手を差し伸べました。
特に、株主優待として送られてくるお米や缶詰、QUOカード、食事券などが生活の支えとなり、何とか生き延びることができたのです。
この経験から、株主優待を重視した投資スタイルに切り替えた桐谷さんは、精神的にも安定し、再び資産を築くことに成功しました。
桐谷さんは、その後、株主優待生活を続け、投資で得た利益を増やし続けることで、着実に資産を増やしていきました。現在では、投資家としての成功だけでなく、投資関連の講演や書籍の印税も収入源となっており、年収は数千万円に達すると予想されています。
元将棋棋士でありながら、投資家タレントとしても広く知られる桐谷さんの成功は、過去の困難を乗り越えた結果の賜物です。彼の生活スタイルや投資戦略が、多くの人々にとっても参考となるでしょう。
桐谷広人が結婚する可能性
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桐谷広人さんは、現在も結婚していない独身生活を送っています。
過去には、ホスト業界で活躍する女性との婚約もあったものの、先輩棋士によってその婚約者を奪われてしまったというエピソードがあります。
その後も結婚の約束をした女性がいましたが、再び同じ先輩棋士によって関係が壊れてしまったそうです。このような経緯から、桐谷さんが現在独身である理由の一部かもしれません。
桐谷さんの住まいは、東京都中野区にある賃貸マンションで、家賃は月額20万4000円の3LDKの物件です。
以前、マンション購入の計画が進められていましたが、コロナ禍の影響で株価が下落し、講演会もキャンセルが続いた結果、収入が大幅に減少したため、その計画は中止となったようです。
現在の桐谷さんの生活スタイルは、独身であることが大きな要因となっているため、今後結婚の可能性が低いとも考えられます。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
生活レベルを変えずに定期預金
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桐谷広人さんはプロ棋士に昇格し、収入が飛躍的に増加しました。
しかし、その状況でも贅沢を控え、質素な生活を続けたのです。
「収入が増えても、奨励会時代の貧しい生活を変えず、無駄遣いはしませんでした。結果として、毎月数十万円が手元に残り、そのお金を定期預金にしていました」と桐谷さんは語ります。
一般的に、収入が増えるとそれに伴い支出も増えがちですが、桐谷さんはその誘惑に負けず、堅実な生活を維持しました。このような自制心こそが、資産5億円を築いた大きな要因のひとつといえるでしょう。
桐谷さんの成功は、単に将棋の才能だけではなく、堅実な資産管理と冷静な判断力によって支えられていたのです。