※本サイトのコンテンツには、商品プロモーションが含まれています。
今回は、俳優の近藤芳正さんについてご紹介します。
名バイプレーヤーの近藤芳正さんと嫁はバツイチ同士で不思議な縁で繋がっていることが判明しました。その不思議な縁の詳細や馴れ初め、さらには京都での結婚生活に迫ってみました。親友である中井貴一さんの後押しで結婚が成就した件、さらには子供についても詳しく調査してみました。
Contents
近藤芳正と嫁はバツイチ同士の不思議な縁
近藤芳正さんは、2021年1月2日に19歳年下の一般人女性と結婚しました。
結婚した当時の近藤芳正さんの年齢は59歳、奥さんの年齢は40歳でした。
お互いにバツイチ同士で、奥さんとはとても不思議な縁であることも話題となりました。
その不思議な縁というのは、近藤芳正さんが時代劇で実在する人物である三坪の伝次郎の役を演じた際に、その演じた人物と奥さんにご縁があることが判明したのです。
何かの縁で人と人が知り合うということはありますが、まさに運命のお相手と出会われてたということで、近藤芳正さんも奥さんもそのことをとても感慨深く思い、一緒にその人物のお墓参りをしようということになったそうです。
大石神社で目に見えない力が働いていた
近藤芳正さんの現在の奥さまの実家は、京都市山科区の大石神社周辺にあるとされ、この神社は赤穂事件で討ち入りを遂げた大石良雄(内蔵助)や四十七士を祀る歴史ある神社として知られています。
忠臣蔵の主人公である大石内蔵助にちなんだ品々も奉納・展示され、忠義と歴史を感じる場所です。
近藤さんも「大石神社の大石桜」を好むとされ、この神社には特別な思いがあるようです。
また、彼がかつて時代劇で忠臣蔵の浪士役を演じたことも、偶然以上の縁を感じさせます。
名古屋市出身の近藤さんにとって京都との縁は不思議にも見えますが、この出会いは運命的だったのかもしれません。
人との縁は偶然のようでいて、実は必然的な側面もあると感じさせるエピソードです。
近藤さんは1996年に最初の結婚を経験しましたが、2003年に離婚。その後、再婚相手が舞台女優という噂が一部で流れましたが、確かな情報ではなく、誤解である可能性が高いとされています。
さらに、現在の奥さまも再婚経験があるとされ、二人はバツイチ同士として新たな道を歩んでいるとのことです。
一般人であるため画像は公開されていない
近藤芳正さんの奥様は一般の方であるため、詳細な情報や写真などは一切公開されていません。しかし、京都でお二人を見かけた人々の話から、奥様についていくつかの印象が語られています。
奥様は非常にスリムでスタイルの良い美しい方で、その佇まいには控えめながらも品のある雰囲気が漂っていると言われています。
さらに、夫である近藤さんを常に尊重し、大切にしている様子がうかがえます。
例えば、歩いている時には、近藤さんの一歩後ろを控えめに歩くような姿勢を見せており、その気遣いや穏やかな人柄が周囲に伝わってくるようです。
このような奥ゆかしい態度が、お二人の関係をより和やかで温かいものにしているのかもしれません。彼女の存在は、近藤さんにとって心の支えであり、穏やかな日々をともに築く大切なパートナーであることが感じられます。
馴れ初めは友達とおでん屋
出典:lmaga.jp
近藤芳正さんと奥さんが知り合ったのは、お友達の紹介でした。
ちょうど近藤芳正さんが時代劇の撮影のために京都に滞在していたときに、近藤芳正さんがお友達と京都駅近くにあるおでん屋さんで食事をする際にお友達が奥さんを連れてきたことで知り合いました。
先ほどもお伝えした通り、別の時代劇で近藤芳正さんがNHKBSプレミアムで放送された時代劇『雲霧仁左衛門』で演じた三坪の伝次郎と奥さんに縁があることが判明し、一緒に三坪の伝次郎のお墓にお参りすることを約束し、それ以降急速に距離が近付いていきました。
結婚式
このブログの冒頭でもお伝えした通り、結婚したときの近藤芳正さんの年齢が59歳、奥さんの年齢が40歳であったことに加えてお互いに再婚同士で会ったことから、大々的な結婚式は行わず、身内の人間やごくごく近しい人達だけを招いた食事会けん結婚報告会を開催した程度でした。
ここからは余談ですが、2019年7月に京都府美山町にある美山町自然文化村河鹿荘という宿泊施設で、近藤芳正さんが複数の方々と一緒に朝食を取られているところに出会したのですが、そのときに隣にいらっしゃった女性が後の奥さんになる方だったのだと思われます。
すらっとしたスレンダーな美人だったことを記憶しています。
京都での生活が庶民的だけど自宅はどこなのか
近藤芳正さんは現在、奥さんの出身地である京都に住んでいます。
公に詳しい情報がほとんど公開されていないため、具体的な住所や詳細は確認できません。ただし、近藤さんが京都に自宅を構えているという情報は、彼の仕事やライフスタイルに関連して語られることがあります。
彼は俳優として活躍しながら、地方を拠点に活動することも多いことから、京都のような歴史や文化が豊かな場所を居住地として選んだ理由に、リラックスした生活や仕事の合間に芸術的なインスピレーションを得ることが含まれている可能性があります。
また、京都の環境は俳優業と両立しやすい点でも魅力的かもしれません。
もしさらに具体的な情報が公開されている場合、それは彼自身のインタビューや特集記事などで語られることがありますが、プライバシー保護の観点から、多くの詳細は控えられている可能性が高いです。
出典:sakabanashi.takarashuzo.co.jp
近藤芳正さんは、奥さんが住み慣れた京都で新たな人間関係を構築していこうと考えていて、俳優業に次ぐライフワークとも言える飲食店開拓を積極的に行っています。
近藤芳正さんが個人的に利用されていて、東京から知人や友人が来る際には一緒に行ったりもする京都のお店は以下の通りです。
ワインバーALKAA(アルカー) 京都府京都市南区東九条西山王町15-7
うどん屋糸ちゃん 京都府京都市下京区屋形町7-1
お好み焼き屋あいこちゃん 京都府京都市下京区上之町1-13
これらのお店を利用しながら、東京で生活していた頃とはまた違った新たなコミュニティを開拓している最中です。
芸能人っぽさはほとんどなく、下町の飲食店に通いながら、下町でのネットワークを構築中と、至って庶民っぽい生活をされています。
子供はいない
近藤芳正さんと奥さんの間に子供はいません。
結婚した時点での奥さんの年齢がすでに40歳でしたので、妊娠や出産にかかるリスクが高いため、子供を作ろうという選択をしなかった可能性が高いです。
お互いにバツイチですので、元の配偶者との間に子供がいるのかどうかについても調べてみましたが、お互いに元の配偶者との間にも子供はいないようです。
夫婦や家族の形は人それぞれですから、子供がいないことが必ずしも不幸なことであるとは限りません。2人だけだからこそできることや行ける場所があり、お互いがお互いを思いやる気持ちがあれば、結婚生活は充実したものになるはずです。
近藤芳正さんも奥さんも、今の夫婦の形に満足しているようですので、今後2人の間に子供が生まれる可能性は極めて低いものと考えられます。
近藤芳正と嫁の結婚には中井貴一の後押しがあった
出典:crank-in.net
近藤芳正さんと中井貴一さんは、NHKBSプレミアムで放送された時代劇『雲霧仁左衛門』で共演したことがきっかけで仲良くなり、中井貴一さんは近藤芳正さんのことを「近ちゃん」と呼んでいます。
近藤芳正さんが中井貴一さんのことをどのように呼んでいるのかは分かりませんでしたが、中井貴一さんが京都に来る際には、近藤芳正さん行きつけのお店に招待し、時間の許す限り飲み明かすような間柄です。
そんな中井貴一さんが奥さんの写真を見た途端、
この人と付き合った方がいい
結婚した方がいい
この機会を逃したら次はないよ
とアドバイスをしてきたそうです。
その当時撮影が行われていた時代劇の撮影は新型コロナウイルスが蔓延した影響で中止され、スケジュールが空いた近藤芳正さんは東京へ帰る準備をしていました。
そのときに中井貴一さんからは、その方(奥さん)も暇で手持ち無沙汰にしているだろうから、東京に戻らずに一緒にいた方がいいと言われ、奥さんと一緒に清水寺や貴船神社に出かけました。
その後東京に戻ってからもリモートでコミニュケーションを取り続け、奥さんの誕生日に交際を申し込み、2020年5月に交際がスタートしました。
そして交際がスタートした2か月後の2020年7月にプロポーズをし、2020年11月には京都に移住し、2021年7月1月2日に入籍しました。
中井貴一さんの目には、近藤芳正さんと奥さんの相性がピッタリと合うことが浮かんでいたのでしょうか。もしそうだとすれば、中井貴一さんはとても鋭い眼力の持ち主なのでしょう。
夫婦仲と離婚する可能性
近藤芳正さんと奥さんは、奥さんの生まれ故郷である京都に住んでこれまでとは違った新たなコミュニティを開拓中です。
奥さんにとってみると京都は生まれ育った場所であるため、近藤芳正さんとの結婚生活がスタートしてからも住む場所が変わるストレスがないため、心の余裕度合いが全く違うでしょうし、メンタルが安定している奥さんと共に過ごすことで、近藤芳正さんも心穏やかに生活することができていることは間違いありません。
共通の知人もどんどんと増えていて、そんな人たちの間では近藤芳正さんと奥さんはおしどり夫婦と認識されていますので、今後近藤芳正さんと奥さんが離婚する可能性は低いものと考えられます。
元嫁(前妻)は一般人
近藤芳正さんの元妻について、公に詳細な情報はほとんど公開されていません。近藤さんはプライベートをあまり明かさない方であり、元妻との関係についてもメディアやインタビューで具体的に語られたことは少ないようです。
ただし、一般人であることはほぼ間違いないものと思われますが、以下のような情報が一部で知られています。
元妻との結婚生活
出典:crank-in.net
結婚の時期: 過去に結婚していたことがあると報じられていますが、具体的な結婚時期や期間については明らかにされていません。
離婚: 元妻とは離婚に至ったとされています。理由については明言されていませんが、近藤さん自身の仕事の忙しさや価値観の違いが背景にあった可能性があります。
近藤芳正さんの元妻については、一般人である可能性が高く、詳細な情報は非公開です。
離婚後も俳優として精力的に活動し、再婚した現在は新しい家庭を築いています。プ
母は中学生のときに離婚し別離した
幼少期に俳優としてのキャリアを歩み始めた近藤芳正さんですが、思春期の頃、大きな家族の変化に直面しました。
近藤さんが中学生の時、両親が離婚することとなり、母親はそれまで家族と暮らしていた名古屋を離れ、東京で新しい生活を始めました。
母親との別れは、感受性の強い年頃だった近藤さんにとって非常に大きな出来事であり、彼の心には複雑な感情が渦巻いていました。
子どもとしての寂しさや混乱に加え、家庭が分かれるという現実を受け入れなければならなかった彼の姿は、多感な少年期に重い影響を与えたことでしょう。
それでも、近藤さんは困難な状況に直面しながらも、その経験を糧に自分の人生を切り拓いてきました。このような背景が、俳優としての人間味や深みを育んだ要因の一つとなっているのかもしれません。
若い頃に中学生日記でドラマデビュー
出典:nhk.or.jp
近藤芳正さんが演技の世界に足を踏み入れたのは、中学1年生の時、地元の児童劇団に加入したことがきっかけでした。
その後、わずか15歳でテレビドラマデビューを果たします。初出演作品は、青春ドラマとして親しまれた『中学生日記』。劇中では、ちょうちん屋を営む家の息子「近藤芳正」という役を演じました。
この作品は、1976年から1978年にかけて放送され、彼にとって俳優人生の第一歩となる貴重な経験となりました。
子どもの頃から持ち前の表現力で観る人を魅了し、若き日の近藤さんはここから本格的に俳優としての道を歩み始めたのです。
大河ドラマ真田丸での演技が好演だった
出典:nhk.or.jp
近藤芳正さんは、NHK大河ドラマ『真田丸』で豊臣秀吉の馬廻衆を率いる平野長泰役を熱演しました。
この平野長泰という人物は歴史的な記録が少なく、背景情報が乏しいため、役作りには多くの苦労が伴ったといいます。それでも近藤さんは、この難しい役柄を見事に演じ切り、その表現力は多くの視聴者の心に深く刻まれました。
平野長泰として画面に現れる近藤さんの迫真の演技は、観る人々に強烈な印象を与え、キャラクターの存在感を鮮明に焼き付けました。
その情熱と努力は、俳優としての彼の実力を改めて証明するものであり、『真田丸』の中でも特に記憶に残る名演技として語り継がれています。
近藤芳正の嫁まとめ
近藤芳正さんの奥さんは京都出身の一般人で、現在は奥さんの出身地である京都で生活をされています。
奥さんの実家は赤穂事件で討ち入りを遂げた大石良雄(内蔵助)や四十七士を祀る歴史ある神社である大石神社の近所で、近藤芳正さんもかつて赤穂浪士の義士を演じたこともあり、不思議な縁で結ばれたことがわかりました。
2人の間にお子さんはいないのですが、中井貴一さんからの積極的な後押しもあり晴れて結婚し、現在は夫婦仲良好のおしどり夫婦として生活されています。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。