今回は、歌手で女優の三沢あけみさんについてご紹介します。
いつまでも綺麗な三沢あけみさんには現在、旦那さんも子供もいないようです。ですがかつては結婚していたことがありました。離婚理由は母親だったということなのですが、若い頃の三沢あけみさんの様子についても詳しく調べてみました。
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三沢あけみには現在旦那も子供もいない
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すでに70代後半(1945年6月2日生まれ)の三沢あけみさんですが、現在は結婚しておらず旦那さんも子供もいない状態です。70代後半と聞いて驚く人も少なくないと思います。
ご本人曰く、若さの秘訣は好き嫌いをせずにバランスの良い食事をすることと、ストレッチをすることだそうです。もともとお酒が飲めない体質であるため、自然と不摂生をしない食生活が染みついたとも語っていました。食事とストレッチ、いずれも基本的なことばかりではあるのですが、これらをいざ実践し継続させようと思うと、なかなかうまくいかなかったり続かなかったりしますよね。
様々な誘惑や煩悩を断ち切り、自分自身を律することができてきたからこそ、70代になっても衰えない若々しさと美しさを維持し続けることができている三沢あけみさんですので、私生活が乱れているようには思えませんし、三沢あけみさんのことを好きになる人もいたはずです。
インターネット上では、三沢あけみさんはてっきり結婚して子供や孫がいるものと思い込んでいた人も少なくなかったようで、なぜ70代になっても未婚なのかと疑問に思う声も上がっていました。
三沢あけみには既婚歴がある
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先ほどもお伝えした通り、三沢あけみさんは現在結婚しておらず子供もいない状態ですが、実はかつて結婚していたことがあるようです。
元旦那は後輩歌手
結婚したのは三沢あけみさんが25歳の時(1970年)でした。お相手は同い年の後輩歌手である勝三四郎さんでした。
歌手ではありましたが、第一線で活躍する歌手ではなく前座歌手として活動していました。売れているわけではなかったため、名前や代表曲等は一切明らかにされていません。
三沢あけみさんが交際や結婚を決めた理由は、お相手の男性が三沢あけみさんのために歌手を辞めてサラリーマンになってくれたことでした。というのも、三沢あけみさんや三沢あけみさんの両親は、芸能人と結婚することを望んでいませんでした。そのことをお相手の男性に伝えたところ、すぐに歌手を辞めてサラリーマンになってくれたそうで、その真摯な姿勢にひかれて交際をスタートし、結婚にまで至りました。
ちなみに、勝三四郎さんが前座歌手を辞めて転身したのは普通のサラリーマンではなく、国務大臣(政治家)の秘書でした。
1970年11月21日に、東京の帝国ホテルで結婚式披露宴が行われ、政治家や芸能人をはじめ、数多くの来賓客を迎えて盛大に執り行われました。そのときの報道によると、旦那さんの名前は唐木沢康光さんと紹介されていましたので、勝三四郎は芸名だったようです。
離婚理由はすれ違い
結婚してすぐの頃の三沢あけみさんは不定期に開催されるステージに上がる程度で、できる限り仕事をセーブして家庭優先路線を貫いてはいたのですが、そうは言え売れっ子でしたので、事務所の意向も組みながら仕事をしていくうちに、徐々にすれ違いが生じていきました。
結婚した当時の三沢あけみさんは、芸能界にデビューして11年目、映画デビューして9年目、歌手デビューして7年目でしたので、映画や歌手活動でとても多忙な時期でもありました。
旦那さんも当然仕事をしていましたので、家に帰ってもすれ違う日々が続いたようで、知らず知らずのうちに夫婦間で溝ができてしまい、結局その溝を埋めることができず、三沢あけみさんが32歳の時(1977年)に離婚してしまいました。
結婚生活およそ8年間で、その間に妊娠もしたようですが、残念ながら流産してしまったそうです。
離婚した後にマスコミの取材に対して三沢あけみさんは、今後はずっと独身で良いなと思っていると語っていました。そう思う理由を記者から聞かれると、面倒臭いからと即答していたのがとても印象的でした。仕事と家庭の両立が大変だったんだなということが感じ取れる一幕でした。
離婚して心の中でつっかえが解消したのでしょうか、1979年9月には、再起第1弾作として『わかれ酒』を発売し、40万枚を超すロング・ヒットを記録しました。
三沢あけみと元旦那の本当の離婚理由は母親だった?!
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三沢あけみさんが唐木沢康光さんと離婚したことは先ほどもお伝えした通りですが、離婚の原因はすれ違いの他に、実の母親が関係しているという噂もあります。
三沢あけみさんは一男三女の末っ子として生まれ、幼い頃から蝶よ花よというふうに育てられてきました。両親や兄姉から愛情をたっぷりと注がれて育ってきたことに加えて、次女と三沢あけみさんの歳の差が約ひと回りもあることから、家族からも必然的に注目の的になっていました。
そんな三沢あけみさんが唐木沢康光さんと結婚するとなった際には、それはもう家族が大反対したそうで、特に母親は心中穏やかではなかったそうです。
家族の反対を押し切って結婚した三沢あけみさんではありましたが、結婚してからも母親からは心配の電話連絡や(たまに)手紙が届くなど、常に三沢あけみさんのことを気にかけてくれていました。
結婚して初めのうちは、唐木沢康光さんと新しい幸せな家庭を築いていこうと思っていたのですが、仕事と家庭の両立の難しさや、幼い頃から育ってきた温かい家庭環境との違いに違和感を感じるようになっていきました。
離婚の直接的な原因ではなかったのかもしれませんが、子供の頃から常に自分のことを見守り育ててくれた母親と一緒にいる時間を作りたいという気持ちがあったことは間違いないと思われます。
三沢あけみは若い頃に年齢詐称をしていた説は本当だった
三沢あけみさんは小学校時代に大きなリボンをつけて登校していたことから、ニックネームはリボンちゃんでした。当時から周囲とは一線を画す可愛さで、クラスでもかなり注目されていて人気がありました。
三沢あけみさんが14歳の時に、叔母から東映のニューフェイスの募集の話を聞き、それまでは女優になりたいなどとは露も思っていませんでしたが、女優や芸能界に対する好奇心が芽生え、東映のオーディションに応募しました。
ところが、オーデション応募に際して大きな壁が立ちふさがります。年齢の壁でした。
東映のオーディションの応募資格は16歳以上となっていましたので、応募要件を満たしていなかったため、三沢あけみさんは応募書類に実際の年齢とは異なる16歳という年齢を記載し書類を提出しました。
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2人のお姉さんから洋服やアクセサリーを借りて、できる限り大人っぽく着飾った上でオーディションに臨んだのですが、審査員に年齢詐称していたことがバレてしまい、万事休すかと思われましたが、学校の許可があれば東映に所属しても良いとの条件付きで、第7期東映ニューフェイスオーディションに見事合格することができました。
オーディションに条件付きで合格したことを、当時通っていた小野学園女子中学校に相談したところ、学校が指定する最低出席日数を下回らなければ良いということで無事にOKをもらうことができ、1960年5月にテレビ朝日系で放送されたドラマ『笛吹童子』「(ふえふきどうじ)」で女優デビューを果たしました。
年齢詐称というリスクを侵してでもなりたかった女優になって60年以上の月日が経過し、若い頃に比べてメディアへの露出機会が減少している三沢あけみさんですが、未だ健在の美しさと若々しさで、これからもファンを魅了し続けていただきたいと思います。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。