今回は、淑徳大学名誉教授の北野大さんについてご紹介します。
ビートたけしこと北野武さんの兄である北野大さんは現在、大学の学長兼会長として学会に君臨し続けています。かつてのテレビ出演は、TBSの勘違いがきっかけだったそうなのですが、何があったのでしょうか。
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北野大は現在大学の学長兼会長
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北野大さんは2017年4月に秋草学園短期大学の学長に就任し、現在も職務を継続しています。
そしてさらに、2019年7月からは明治大学校友会会長も兼務しています。
北野大さんは淑徳大学教授を退官する際に名誉教授の称号を与えられていますが、名誉教授というのはある一定の年限を勤めた者の中で、教育上または学術上著しい功績があった人に対して退職後にその大学から与えられる称号であるため、名誉教授を授与されたからと言ってその大学に勤務しなければならないわけではありません。
とは言え、淑徳大学から教育上または学術上著しい功績があったと認められたわけですので、講演や特別講義の依頼が来ることが結構あるようで、学長業と校友会会長業もあわせるとかなり忙しい日々を送っています。
2021年には、80歳を目前にして東京オリンピックの聖火ランナーを務めました。東京都荒川区にある南千住野球場で開催された聖火リレーの点火セレモニーで、江戸川区の走者として聖火リレーに参加したこともありました。
北野大さんの経歴や職歴を調べてみると、一度は民間企業に就職していた時期があることが判明しました。
明治大学工学部工業化学科を卒業後、大正製薬に入社し、研究部防虫課で殺虫剤製品の品質改良などの業務に従事していました。
民間企業で行われる応用研究ではなく、大学等の研究機関で行われる基礎研究をしたいという気持ちから大正製薬を退職し、東京都立大学大学院工学研究科工業化学専攻修士課程に入学し、化学者としての道を歩み始めます。大学院の単位や課程を順調に修め、1972年(30歳のとき)に博士課程を修了し、化学者の卵としてデビューしました。
研究者としての最初のキャリアは、株式会社ロッテの非食品部門でした。しかし、社風が合わなかったのでしょうか、ロッテを短期間で退職し、財団法人化学品検査協会(現材の財団法人化学物質評価研究機構)に転職しています。
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財団法人化学品検査協会では、分析化学の専門家として勤務し、主任研究員にまで昇進しました。その後も退職せずに在職していればもっと上のポジションに上がることもできたのですが、1994年(52歳のとき)に淑徳短期大学教授に就任しました。
その後、1996年からは4年制大学に改組した淑徳大学国際コミュニケーション学部教授に就任しました。そして2006年からは、明治大学理工学部応用化学科専任教授に就任し、2013年3月(70歳)で定年退職しました。
2013年4月からは淑徳大学総合福祉学部教授に就任し淑徳大学にカムバックを果たしています。2014年4月からは淑徳大学人文学部表現学科教授に就任するなど、淑徳大学内で様々な仕事を担ってきました。
北野大さんが淑徳大学から名誉教授の称号を授与されたのも納得の経歴です。
北野大のテレビ出演はTBSの勘違いがきっかけだった
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北野大さんは1987年(45歳のとき)に、TBS系で放送された『サンデーモーニング』に理系コメンテーターとして出演したことがきっかけで、テレビの仕事をスタートさせました。
北野大さんがテレビ出演をするきっかけは、当時のサンデーモーニングを担当していたTBSのプロデューサーによる勘違いでした。
番組司会者の関口宏さんが大橋巨泉さんに、誰かコメンテーターをできそうな人がいたら紹介してほしいとお願いしたところ、大橋巨泉さんが、「たけしの兄貴が良いよ」と返答したため、すぐに番組スタッフが北野大さんに出演オファーをかけてきました。
ところが、大橋巨泉さんが推薦した北野武さんのお兄さんというのは、北野大さんではなく長男の重一さんのことでした。プロデューサーが何をどう勘違いしたのか、3人兄弟で北野武さんからすると2人いるお兄さんのうち、長男ではなく次男の北野大さんに声をかけてしまったのです。
大橋巨泉さんが長男の重一さんを紹介した理由は、かつて北野武さんが新宿の若松町に出店していた割烹料理店「北の屋」で2人が出会い、英語が得意だった重一さんのことを高く評価していたからでした。
当時のプロデューサーの完全なる勘違いで届いた出演オファーでしたので、北野大さんは辞退する旨の手紙を出したのですが、当時北野大さんが在籍していた、財団法人化学品検査協会(現在の財団法人化学物質評価研究機構)に直接出向いて出演を懇願するという熱の入りようでした。
弟のコネでマスコミやテレビに出ても、結局、北野武さんの足を引っ張るようになってしまったら申し訳ないという気持ちから出演オファーを固辞し続けていたのですが、プロデューサーの「クビがかかっているからどうか助けてほしい」という言葉によって北野大さんの心が動いたそうです。
北野武さんにオファーの内容を伝えたところ、テレビに出れば、研究者だけではなく芸能人やスポーツ選手や弁護士など、各方面で活躍している様々な人と同じ時間と空間を共有するため、これまでよりも社会が広がるぞと言われ、出演を決意しました。
北野大のテレビ出演に対して北野武が一言モノ申した
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『サンデーモーニング』のプロデューサーの勘違いによって決まった番組出演でしたが、北野武さんから事前に出演に際してのアドバイス等は一切なかったそうです。
ですが、北野大さんが初めて出演した回と2回目に出演した回の放送を見ていてくれたそうで、説明が堅いと指摘されたそうです。
これまではずっと専門家を相手に仕事をしてきていた北野大さんにとっては、北野武さんからの指摘がごもっともで、とても助かったと語っていました。
そしてその後、定期的な指摘こそなかったものの、北野大さんがレギュラー出演する番組が1、2本でき始めた頃でちょうど淑徳短期大学の教授になった頃、北野武さんから、レギュラー番組を1、2本もらったからと言って変な気を起こすなよと釘を刺されました。
あくまで大学の教員をやっているから注目されて、テレビに出られているだけで、もし仮に学者ではなくプロの芸人だったら絶対にテレビの世界で食べていけていないからなとまで言われていました。
北野大が現在の地位にいられるのはかつての勤務先のおかげ
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北野大さんがテレビの仕事をし始めた頃は、今のように大学で教鞭をとっていたわけではなく、財団法人の職員として働いていました。
研究職ではありましたが、国の機関の傘下にある財団法人の一職員として勤務していたため、就業規則がきっちりと定められていて、副業やアルバイトは一切禁止されていました。
当然、北野大さんがテレビ出演をすることは本来ならばNGだったのですが、当時の財団の専務理事がとても理解のある人で、以下の理由から北野大さんのテレビ出演をOKしてくれました。
『サンデーモーニング』のように日曜日の放送であれば、休日であるため普段の通常業務とは一切関係がない。
休日であっても就業規則上はアルバイト禁止であるためテレビ出演は認められないけれども、北野大さんはアルバイトとしてテレビに出ているのではなく、化学という分野の専門家として出演していて、専門を活かして仕事をしているだけである。
北野大さんが出演することにより、財団法人化学品検査協会の名前が世間に広く認知される
もしこのとき、北野大さんがテレビに出演していなければ、現在のポジションに身を置くことがなかったかもしれないと思うと、改めて人生は何が起こるか分かりませんし、人と人の出会いは大切なんだなと痛感させられます。
北野大の子供は文系学部に進学した
北野大さんにはお子さんがいるのですが、一部噂によると、息子さんと娘さんがいると言われています。
実際に息子さんと娘さんがいるのかどうかについての確証は得られていませんが、息子さんがいることは確かです。
そしてその息子さんは、かつて高校時代に進路選択をする際、北野大さんの進める理系分野への進学を拒否し、文系に進学することを決意しました。具体的にどこの大学かまでは明らかにされていませんが、商学部に進学し、大学卒業後はサラリーマンとして働いています。
すでに結婚してお子さんもいるとのことですので、北野大さんにはお孫さんがいらっしゃるようです。
健康にはより一層気を付けつつ、今後も学問の発展に尽力し続けていただきたいと思います。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。