安藤玉恵の旦那タニノクロウは元精神科医!異色の経歴と結婚に隠された真実に迫る

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今回は、女優の安藤玉恵さんについてご紹介します。

独特な個性を存分に発揮し、バイプレーヤーとして人気の安藤玉恵さんの旦那さんであるタニノクロウさんは元精神科医という異色の経歴の持ち主です。元医者と女優の結婚に隠された真実や子供について調べてみました。

安藤玉恵の旦那タニノクロウは元精神科医

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安藤玉惠さんの旦那さんはタニノクロウさんですが、本名は谷野九郎さんと書きます。出身は富山県富山市実家医者の家系でしたが、タニノクロウさんは幼少時代から絵画や彫刻に興味を持っていました。

中学時代までは富山県に住んでいましたが、高校は千葉県にある全寮制の暁星国際高等学校に入学しています。帰国子女を受け入れる全寮制男子校として1979年4月に設立されましたが、タニノクロウさんのように帰国子女ではない人でも通うことが可能となっています。

ちなみに、1998年4月からは男女共学化されていますが、タニノクロウさんが通っていた頃は男子校でした。

さて、そんな暁星国際高等学校に通っていた頃に出会ったとある数学教師の存在が、その後のタニノクロウさんの人生に大きく影響を与えました。

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その数学教師は、専門は数学ながらも美術に詳しく、マルセル・デュシャンやサルバドール・ダリなどのシュールレアリズムに傾倒しました。そのまま美術の道を志すことも一時期考えたようですが、医者の家系に生まれたという使命感のようなものから、昭和大学医学部に進学しました。

大学進学後は医学の道を志しながらも、1回生の頃には休部状態だった演劇部を復活させたり、明治大学の「騒動舎」がやっていたようなコメディをやってみたいとの思いから、2000年に演劇部のメンバーとともに「庭劇団ペニノ」を結成・旗揚げするなど、演劇活動にも余念がありませんでした。

2003年(27歳のとき)に医師免許を取得し、精神科医として病院勤務をする傍らで演劇活動も継続していました。

医者を辞めた理由

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先ほどもお伝えした通り、精神科医として病院勤務をする傍らで芸能活動も継続させていたタニノクロウさんでしたが、子供の頃から興味を持ち続けてきた芸術や芸能に関する思いが突き動かしたのでしょうか、勤務していた病院を辞め、芸能活動に専念することを決断します。

医者を辞める決断をした背景には何があったのでしょうか。詳しく調べてみると、2003年に病院勤務を開始した翌年の2004年に行われた台湾招聘公演が医者を辞めるきっかけとなったようです。

国内の劇場からだけではなく、海外の劇場からも招待されたことで、これまで継続的に行ってきた活動が認められたとの自負が強くなり、また、医者との掛け持ちでは続けていくことが難しいと悟り、一念発起し医者を辞める決断をしました。

現在の職業は劇団の主宰

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タニノクロウさんは現在、庭劇団ペニノの主宰者として、全ての公演の脚本・演出を担当しています。

2007年以降は、劇団以外での活動も本格的に開始していて、活動の幅をどんどんと広げ始めます。通常の劇団と言えば、一般に公開されている劇場を借りて公演を行うののが一般的ですが、タニノクロウさんは自宅マンションや野外に劇場を建てたり、現代美術における表現手法・ジャンルの1つであるインスタレーションの様な舞台を作り上げるなど、これまでの常識を打ち破る活動で注目を浴びています。

また、新型コロナウイルスが蔓延する前には、ドイツ・スイス・オランダ・ベルギー・フィンランド・オーストリア・デンマーク・フランスなどのEU圏の演劇祭に呼ばれたり、北米5都市の劇場から招聘を受けてツアー公演を行うなど、国内だけではなく国外からも高い評価を受けています。

安藤玉恵と旦那タニノクロウの馴れ初めについて

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安藤玉恵さんとタニノクロウさんが出会ったのは、タニノクロウさんが脚本・演出を手掛けた舞台『Mrs.P.P.Overeem』でした。上演されたのが2003年でしたので、その当時はまだ、タニノクロウさんは医師と劇団主宰の二足の草鞋を履いていた頃でした。

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タニノクロウさんの演劇に対する思い入れの強さや向き合い方に共感し一目惚れした安藤玉恵さんがアプローチした結果、交際がスタートしました。安藤玉恵さんとタニノクロウさんは同い年で、当時の年齢は27歳でした。

安藤玉恵さんは庭劇団ペニノの海外公演にも駆けつけるなど、国内外を忙しく駆け回るタニノクロウさんに合わせる形で時間を工面し、会う時間を作り出していました。

安藤玉恵さん自身も、女優としてこれからというときに、自分よりもタニノクロウさんのことを優先してサポートに徹したことで、庭劇団ペニノの海外進出がよりスムーズに進んだことは紛れもない事実です。

結婚した今でも、タニノクロウさんは当時のことを感謝し続けていて、安藤玉恵さんの内助の功無くしては今の庭劇団ペニノはおろか、タニノクロウさんの成功はなかったのかもしれません。

結婚式や披露宴

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安藤玉恵さんとタニノクロウさんが出会ったのは2003年ですが、結婚した具体的な時期までは分かりませんでした。

恐らく2004年に人生初の海外公演(台湾招聘公演)を行って以降、タニノクロウさんは飛ぶ鳥を落とす勢いで仕事が立て続けに入っていましたので、結婚式や披露宴を行う時間的な余裕はなかったのではないかと思われます。身内だけで挙式のみを執り行ったかもしれませんし、ひょっとすると結婚式すらしていない可能性も考えられます。

熟年になってから結婚○○周年を記念して結婚式を行うケースはありますので、今後大々的に結婚式や披露宴を行う可能性もありそうです。

安藤玉恵と旦那タニノクロウの子供は1人で母親思い

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安藤玉恵さんとタニノクロウさんには息子さんが1人います。2023年時点で中学年生です。

小学生の頃は、安藤玉恵さんが出演する舞台を観に行ったり、タニノクロウさんが脚本・演出を手掛けた舞台を安藤玉恵さんと一緒に観に行くのが日課のようになっていました。

安藤玉恵さんは、息子さんから舞台を観た感想を聞くのがひそかな楽しみだったそうで、舞台鑑賞を通じて親子関係が良好に保たれていました。

最近では安藤玉恵さんがドラマに出演することも増えてきたため、そのドラマを見て、ママのような脇役がいないとドラマは成立しないと、安藤玉恵さんを勇気づけるコメントもくれそうです。母親思いの良い子ですね。

また、安藤玉恵さんの実家はとんかつ屋さん(東京都荒川区にあるどん平)で、幼い頃からおじいちゃんとおばあちゃんが作ったとんかつを食べて育ってきました。

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どん平は、2013年9月11日にテレビ東京系列で放送された『孤独のグルメSeason3』第10話「荒川区西尾久の炎の酒鍋と麦とろ飯」で紹介されたことがある名店です。

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新型コロナウイルスの影響で客足が減り経営状態が芳しくない実家の店を盛り立てるために、安藤玉恵さんは「SAVE THE どん平」という企画を開催しています。

2011年11月から不定期で開催されているのですが、そこでは安藤玉恵さん自身が語り部となり、店内のお座敷で「安藤玉恵による“とんかつ”と“語り”の夕べ」と題した企画が催されています。

その場に息子さんが来ることはほとんどないそうですが、おじいちゃんおばあちゃんのお店を守りたいという気持ちは持っているようで、陰ながら安藤玉恵さんの活動をサポートしているようです。

ちなみに、安藤玉恵さんがフィリピン人であるという噂がインターネット

安藤玉恵と旦那タニノクロウが離婚する可能性

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安藤玉恵さんとタニノクロウさんは、同じ演劇の世界で活動していますので、お互いの仕事のことに関しては配慮し合える間柄です。

また、安藤玉恵さんは日本大学第二高等学校を卒業した後、外交官に憧れて上智大学外国語学部ロシア語学科に進学したほどの頭脳の持ち主でもあります。残念ながら外交官の道は断念し、上智大学を中退していますが、その後早稲田大学第二文学部を卒業していますので、かなりの秀才であることは間違いありません。

このブログの冒頭でもお伝えした通り、タニノクロウさんも昭和大学に進学し医師免許を取得していますので、お互いに受験勉強をしてきた者同士価値観も似ているでしょうから、今後のお子さんの教育方針を巡ってもそれほど大きな対立はなさそうです。

以上のことから、安藤玉恵さんとタニノクロウさんが離婚する可能性は低いと考えられます。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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