※本サイトのコンテンツには、商品プロモーションが含まれています。
今回は、女優の中島唱子さんについてご紹介します。
渡る世間は鬼ばかりで幸楽の店員役を演じた中島唱子さんは現在、アメリカ人の旦那さんとNYで悠々自適な生活をしています。旦那さんはアメリカの大学に勤務する大学教授で、日本語もある程度は話せるのですが、国際結婚ならではの離婚危機を乗り越えた夫婦愛が凄かったので詳しくお伝えします。
Contents
中島唱子は現在旦那とNY在住で悠々自適に暮らしている
出典:mdpr.jp
中島唱子さんは、2002年に現地のジャズミュージシャンのデイビット・バークマンさんと結婚しました。結婚した当時の中島唱子さんの年齢は36歳、デイビット・バークマンさんの年齢は43歳でした。
中島唱子さんは1966年5月7日生まれで、デイビット・バークマンさんは1958年12月28日生まれですので、中島唱子さんは旦那さんよりも8歳年下です。
現在は、デイビット・バークマンさんが活動の拠点としているアメリカのニューヨークで、夫婦2人、悠々自適な生活を送っています。
旦那デイビット・バークマンは大学教授で馴れ初めは文化庁
出典:thetv.jp
中島唱子さんとデイビット・バークマンさんが出会うきっかけとなったのは、1995年に文化庁派遣芸術家在外研修員としてニューヨークで生活を始めたことでした。
日本で芸能活動をする中で自分自身を見失いかけていた中島唱子さんは、新しい活路を求めて渡米したのですが、言葉の壁や文化の壁に阻まれてしまい、大都会ニューヨークで厳しい洗礼を受けてしまいます。
多種多様な人種が集まるニューヨークへ、自分探しをしに来たはずが、自分が埋没していくように感じられたそうです。そんな失意の状態で友人から紹介されたのが、現在の旦那さんであるデイビット・バークマンさんでした。
彼を紹介してくれたのは、中島唱子さんのこともデイビット・バークマンさんのことも知る共通の友人で、ちょうどその頃、デイビット・バークマンさんは日本語を教えてくれる人を探していたところでした。
そんな折にデイビット・バークマンさんを紹介された中島唱子さんは、日本語を教える代わりに英語を教えてもらうことになり、お互いに授業料は無料という契約だったそうです。最初の1時間は英語だけで、後の1時間は日本語だけで会話をすることで、お互いに語学力を高め合うことができました。
最初はデイビット・バークマンさんに対して恋心のようなものは一切なく、柔らかい雰囲気で警戒心を持たずに話ができる人だという認識で、アメリカの様々なカルチャーを学んでいきました。
当時は電子辞書も携帯電話もない時代でしたので、辞書を片手に1つ1つの会話をお互いに理解し合うまで教え合ったことがきっかけで、自然に2人の距離が縮まっていきました。
ある日、ニューヨークになる日本食レストランへ行った際に、お通しとして出されたひじきの煮物を見たデイビット・バークマンさんが、これは中島唱子さんのおばあさんが作ってくれたひじきだねと言いました。
中島唱子さんがデイビット・バークマンさんに対して片言の英語で、自分のおばあちゃんのことを伝えた内容を覚えていてくれたことがとても嬉しく、彼の優しさを感じたそうで、それから間もなくして交際がスタートしました。
1997年2月に、文化庁派遣芸術家在外研修員として任期が終了し、日本に帰国後、TBS系で1997年に放送されたドラマ『ふぞろいの林檎たちⅣ』と、1998年にテレビ東京系で放送されたドラマ『魚心あれば嫁心』に出演後、最後アメリカに渡り、デイビット・バークマンさんが住んでいるブルックリンのアパートで同棲生活を始めました。
そして1999年にはTBS系で放送されたドラマ『渡る世間は鬼ばかり』にレギュラー出演することが決まったため、日本に帰国し、撮影が終わる度にニューヨークに戻り、次の機会にはデイビット・バークマンさんがツアーで日本に来たりするなどを繰り返しながら交際を継続させ、2002年にめでたく結婚しました。
子供はいない
中島唱子さんとデイビット・バークマンさんの間に子供はいません。
このブログの冒頭でもお伝えした通り、中島唱子さんがデイビット・バークマンさんと結婚したときの年齢は36歳でしたので、妊娠することは可能な年齢でしたが、結婚してから約10年間は、中島唱子さんが日本とニューヨークを行き来する生活をしていましたので、子供を作るという選択をしなかったのかもしれません。
また、中島唱子さんは女優の仕事に邁進し、一方のデイビット・バークマンさんは音楽家としてだけではなく、大学で教鞭をとっていましたので、お互いに忙しくしていたため、なおさら子供のことを考える余裕がなかったという可能性もあります。
中島唱子と旦那が離婚危機を乗り越えた夫婦愛が凄い
中島唱子さんが『渡る世間は鬼ばかり』に出演するようになってからは、日本とニューヨークを行き来する生活が始まりました。
毎回日本に帰国する際には、デイビット・バークマンさんがニューヨークの空港まで見送りに来てくれて、別れ際に淋しそうにしている姿を見て、毎回飛行機の中で泣いていました。
『渡る世間は鬼ばかり』のプロデューサーである石井ふく子さんに相談をしに行ったこともあるのですが、石井ふく子さんからは、「それは家庭の問題だから私がどうこう言える立場ではない、自分たちで解決してほしい」と言われました。
その後夫婦で話し合った結果、最終的にはお互いの仕事を優先し、日本とニューヨークを行き来する生活を選びました。
2011年に『渡る世間は鬼ばかり』が終了し、中島唱子さんは日本を引き上げてニューヨークへ行き、デイビット・バークマンさんと一緒に暮らす生活がスタートしました。結婚してから約10年間は夫婦別々の生活をしていたため、一時期はコミュニケーション不足から夫婦仲が上手くいかないときもありましたが、ニューヨークで一緒に暮らすようになってからはコミュニケーション不足も解消し、夫婦仲が良好になったそうです。
中島唱子の余命10年宣告に対する旦那の反応
中島唱子さんを検索してみると、「余命10年」という検索ワードが見つかります。かつて病気をしたことがあったのかなと思い調べてみると、中島唱子さん自身が余命10年の宣告をされたのではなく、2022年3月4日に公開された映画『余命10年』に出演したことがあるからだということが分かりました。
ですので、中島唱子さんが病気になったり余命宣告を受けたことはなく、デイビット・バークマンさんを含めて心身共に健康です。
中島唱子と旦那が離婚する可能性
中島唱子さんとデイビット・バークマンさんは、結婚10周年を迎えた2011年に、ニューヨーク市内で自宅を購入しました。予てからニューヨークで家を購入することが夢だった中島唱子さんは涙が出るほど嬉しかったそうです。
購入したのは、1910年に建てられた古いアパートで、少しずつリノベーションをしながら住み心地の良い家にしていきました。その物件にはたくさんのミュージシャンが住んでいるため、一緒にセッションを行ったりもしているそうです。
デイビット・バークマンさんはニューヨーク市内にある市立大学の教授として教鞭をとっていて、一方の中島唱子さんは2018年から活動の拠点を日本に移しました。事実上の別居生活となっているのですが、夫婦2人で良く話し合って決めたことだそうで、今後どうしていくかの具体的な話まではしていないものの、日本とアメリカでの生活がそれぞれ半年ずつになれば良いなという話はしているお2人。
別々に暮らしてはいますが、離婚の兆候は一切なさそうです。これからもお互いのことを尊重し合いながら、健康に過ごしていただきたいと思います。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございます。