今回は、歌手の増田恵子さんについてご紹介します。
増田恵子さんの夫桑木知二さんはかつて自己破産した経験があり、通常であれば夫婦関係が破綻してもおかしくない状況でしたが、離婚せずに現在に至っています。子供はいませんが、子供がいなくても夫婦仲を良好に保つ秘訣が逆説的で興味深く参考になるものでしたので、詳しくお伝えします。
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増田恵子の夫桑木知二の職業はミキサー技師で社長だった
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増田恵子さんが結婚したのは2002年6月23日のことで、お相手は音響を専門とする有限会社ギルド・ジャパン社長の桑木知二さんです。
増田恵子さんよりも4歳年上(増田恵子さんは1957年9月2日生まれ、桑木知二さんは1954年1月22日生まれ)で、主に1990年代を中心にドラマや映画の音響作りのプロ(ミキサー)として活動していました。
ミキサー技師という職業はあまり世間に認知されてはいないため、ピンとこないという方もいらっしゃるかもしれませんが、ドラマや映画には欠かせない特殊な職業で、映像に合わせて最適な音を創り出すという、とても繊細な感性と技術が必要な職業です。
1985年までは会社に所属して雇われミキサー技師として活動していましたが、1986年に有限会社ギルド・ジャパンを設立し、1991年に株式会社化しました。
会社を設立し、自らが代表取締役社長としてドラマや映画に必要な音作りを継続するとともに、コマーシャルやドキュメンタリー映像などにも関わり、業界では有名な人物でした。
馴れ初めはCM
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増田恵子さんと桑木知二さんが出会ったのは、とあるCM制作の現場でした。
増田恵子さんが結婚したのが2002年で、それ以前に出演したテレビCMは、
日清製粉の冷凍スパゲッティー(1996年)
日清食品のやきそば UFO(1999年)
大一商会のパチンコ・キャラクター(2002年)
ですが、恐らく日清製粉の冷凍スパゲッティーのCMか日清食品のやきそば UFOのCMではないかと考えらえます。
増田恵子さんと言えば、かつては歌手の野口五郎さんとの熱愛の噂がありました。
熱愛報道が出たのは1979年のことで、そのときには婚約騒動まで出回る状態でした。結局、2人は破局したのですが、増田恵子さんは当時のことを振り返りながら、結婚するか仕事をするかの二者択一を迫られていたと語っていました。
お相手が野口五郎さんだったとまでは断言していませんが、同業者だったことは認めていますので、恐らくお相手は野口五郎さんで間違いないものと思われます。
野口五郎さんとは落ち着いた恋愛が出来ず、将来をイメージすることも難しかったのに対して、桑木知二さんとの交際期間中はほとんど波風が立たず、落ち着いた交際を経て結婚にまで至りました。
結婚式は原宿の教会で開催
増田恵子さんと桑木知二さんの結婚式は、東京原宿にあるシャペル・ドゥ・リラという教会で行われました。
そして、結婚式の当日に区役所に婚姻届けを提出しています。
結婚披露宴を行ったのかどうかまでは定かではありませんが、色白の増田恵子さんが純白のウェディングドレスを着た姿がとても綺麗で、参列者を魅了していました。
増田恵子の夫桑木知二は自己破産するも離婚していない
桑木知二さんはミキサー技師として培った経験と人脈を活かし、1986年に有限会社ギルド・ジャパンを設立しました。
代表取締役社長として、6名のスタッフと共にテレビドラマや映画やCMなどの録音と音響制作事業を手掛け、ぐんぐんと業績を伸ばしていきました。
会社を設立してから5年後の1991年には、商号を有限会社から株式会社に変更し、会社名を株式会社ギルド・ジャパンに変更しました。
株式会社に変更したことで、これまで以上に資金調達方法が増えたことで、事業規模もどんどんと拡張させていくことができ、これからもっともっと業績を伸ばしていくのかに思われましたが、2004年1月16日に東京地方裁判所へ自己破産申請をしました。
会社が自己破産したことに伴い、桑木知二さんも自己破産してしまう羽目となったのですが、その当時は増田恵子さんと結婚して2年後のことだったため、世間では夫婦関係を心配する声が多数上がっていました。
その当時、すでに増田恵子さんにはピンク・レディー時代の蓄えがあったため、離婚という選択をしたとしても不思議ではなかったのですが、離婚せずに現在に至っています。
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桑木知二さんが自己破産をした頃、増田恵子さんはピンク・レディーの復活コンサートを開催(2003年から2005年まで)していましたので、旦那さんの会社が倒産したことによる損失を少しでも穴埋めしようと必死だったのかもしれません。
一方の桑木知二さんは、自己破産した後も決して諦めることなく地道にミキサーとしての仕事を継続し続けました。
例え挫折しそうな出来事があったとしてもそこから逃げることなく諦めずに物事に取り組み続ける桑木知二さんのことを誰よりも信用しているからこそ、結婚生活が20年以上も継続しているのでしょう。
ちなみに、桑木知二さんは現在、音楽系の専門学校である日本工学院放送芸術家音声コースで講師を務めています。
増田恵子と夫桑木知二には子供がいない
増田恵子さんと桑木知二さんには子供はいません。
結婚した2002年時点での増田恵子さんの年齢がすでに45歳でしたので、様々なリスクを考慮して子供を作らないという選択をした可能性が高いです。
ピンク・レディーでコンビを組んでいる相方の未唯mieさんにも子供がいませんので、素晴らしDNAが受け継がれないことはとても残念なのですが、増田恵子さんも未唯mieさんも、若い頃からずっと売れっ子でしたので、仕事で充分に心が満たされており、子供がいなくともQOLが高いものと予想されます。
60代になっても衰え知らずの美貌と体力は、天が与えるべくして与えたものなのかもしれません。
増田恵子と夫桑木知二の夫婦仲良好の秘策が凄い
2002年に桑木知二さんと結婚し、20年以上もの長きにわたって夫婦生活を続けていますので、増田恵子さんはずっと心穏やかに過ごしてきたのかと思いきや、実際には結婚生活を送っていく上で大きな不安があったそうです。
そして実際に結婚生活がスタートするとその不安が的中してしまいます。
実は増田恵子さんも桑木知二さんも自己主張が強いため、夫婦喧嘩に発展することが頻繁にありました。
そんな中、夫婦仲を一変させるきっかけをくれたのが、当時雇っていた家政婦さんからのアドバイスでした。
夫婦仲良好の秘策は譲り合うこと
増田恵子さんは家政婦さんから、夫婦で幸せに暮らすためには、夫婦のどちらが勝った負けたではなく、お互いに譲り合って認め合うことが大切だということを教わったのです。
お互いに譲り合うことの大切さやその方法の他に、家政婦さんから日常生活で心得ておくべきことをとを教えてもらった増田恵子さんは、教えてもらったことを全て紙に書き出し、それをトイレに貼っておくことで、増田恵子さんだけではなく桑木知二さんも一緒にその心得を守るようになっていった結果、徐々に夫婦喧嘩がなくなっていきました。
夫婦仲良好の秘策は仕事の話をしないこと
増田恵子さんと桑木知二さんは、お互いに家にいるときには一切仕事の話をしないと決めています。
家では一緒に料理をしたり、お酒を飲みながら映画やテレビを見たりして、夫婦2人の時間を大切にしています。
増田恵子さんは元々はマイナス思考だったそうですが、桑木知二さんがプラス思考であるため、増田恵子さんが悩み事を相談すると、(そんなに深く考えなくても何とかなるから)気にせずにお酒を飲もうという返答が返ってくるとか。
プラス思考の桑木知二さんと話をしていると自然に悩んでいたことを忘れることができ、とても好循環な家時間を過ごすことができています。
また、可能な限りではありながらも桑木知二さんが家事を積極的にこなし、家事負担が軽減したことで増田恵子さんは美容に時間を割くことができています。
朝晩必ずストレッチ(入浴時には顔、湯上りには身体)を行い、ストレッチによって血行が良くなってから炭酸パックを徹底的に行っています。
そして最近はピラティスも取り入れるようになり、昔から習っているクラシックバレエとの相乗効果で、60代になっても体力が衰えていません。
2022年8月18日にテレビ朝日系で放送された『徹子の部屋』に出演した際には、自宅での食生活に加えて、手作りのおせち料理や自家製プリン、カラフルに盛り付けられた野菜の写真を公開していました。
桑木知二さんも料理が得意で、夫婦で一緒にローストビーフの握り寿司などを作って家時間を満喫しています。
増田恵子と夫桑木知二が離婚する可能性
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増田恵子さんはかつて出演したテレビ番組で何度か自宅を公開していて、非常に大きな家に住んでいます。
テレビで紹介されていくうちに、増田恵子さんの自宅は収納御殿との異名をもつようになり、その名の通り、家の中が常にすっきりと整理整頓されていて、どこからどう見ても品の良さが滲み出ていて、成功者の家といった印象を受ける自宅です。
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こちら↑の画像は、増田恵子さんがピラティスをしたり趣味の時間を過ごすときに活用している部屋で、白を基調としたインテリアがとても素敵です。
家が大きいため、1つ1つの部屋がゆったりと作られていて、旦那さんには専用の仕事部屋や趣味の部屋もあり、夫婦が同じ屋根の下でお互いに各々の充電のための時間を過ごしやすい造りになっていることも、夫婦仲良好の秘訣だと考えられます。
結婚した当初こそは喧嘩が多かったものの、家政婦さんからの助言のおかげもあり、徐々に喧嘩が減っていき、今ではお互いに空気のような存在になっていますので、今後増田恵子さんと桑木知二さんが離婚する可能性は低いものと思われます。
増田恵子の病気に対する夫桑木知二の反応
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増田恵子さんは若い頃からずっとスリムな体型ではありますが、一時期激やせしたのではないかと心配の声が上がったことがありました。
ただならぬ痩せ方に病気なのではないかとも噂されたのですが、実はこの頃にバセドウ病を発症しました。発症したのは34歳のとき(1991年)でした。
バセドウ病は甲状腺ホルモンが過剰に分泌されることにより、体重が減少したり頻脈になるなど、全身にさまざまな症状が現れる病気で、症状が酷いときには喉が腫れあがり、その様子を人に気付かれることもあったということです。
甲状腺ホルモンが異常に分泌されることにより、様々な臓器がフル回転状態になってしまうため、運動していないのに鼓動が早くなったり手が震えたり、代謝が良くなりすぎて痩せてしまうなど、日常生活に大きな支障をきたすやっかいな病気です。
発症した当時は症状が安定しなかったため、治ったと思って薬を飲まなくなると再発してしまい、相当大変でした。
発症したのは1991年(34歳のとき)でしたが、バセドウ病であることを公表したのは2005年(48歳のとき)でした。
ずっと病気を隠して音楽活動をするのは相当辛かったものと思われますが、バセドウ病であることを公表することを決断した背景には、桑木知二さんの存在が関係していることは間違いありません。
増田恵子さんからバセドウ病であることを聞かされた桑木知二さんは、これからは2人で一緒に病気を乗り越えていこうと増田惠子さんを勇気づけ、必要以上にネガティブにならないようにしてくれたため、話す前よりもかなり前向きになれたそうです。
現時点では、増田恵子さんからバセドウ病が完治したとの発表や報告はありませんが、これまで同様に、桑木知二さんとの二人三脚で末永くお過ごしいただきたいと思います。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。