今回は医師の丸田佳奈さんについてご紹介します。
テレビ出演をしながら病院勤務をしつつ、子育てにも奮闘中の丸田佳奈さん。夫は研修医時代の元指導医で、結婚の馴れ初めは病院研修でした。丸田佳奈さんが旦那さんと出会った当時の様子や、テレビの仕事と病院の仕事と子育てをすべてこなすための秘訣についても詳しく迫ってみました。
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丸田佳奈の夫は7歳年上の元指導医
丸田佳奈さんの旦那さんは、丸田佳奈さんよりも7歳年上で職業は医師です。丸太佳奈さんは1981年8月20日生まれで2024年時点での年齢が43歳ですので、旦那さんの年齢は50歳ということになります。
丸田佳奈さんは産婦人科医ですが、旦那さんの専門が何なのかまでは明らかにされていませんでした。ただ、旦那さんは丸太佳奈さんの元指導医であるという情報が上がっていますので、もしかすると同じ産婦人科医なのかもしれません。
丸田加奈さんは日本大学時代に2度の大きな挫折を経験しています。最初の挫折は2年生のときの解剖実習でした。1年生の頃とは打って変わって解剖実習の時間が1日の大半を占めるようになり、復習や実習レポートでてんやわんやになってしまい、いくら頑張っても付いて行けていない自分に対して自暴自棄になってしまい、結果的には留年してしまいました。
そして2回目の挫折は6年生のときに訪れました。勉強をしてはいるものの、いくら勉強しても周囲に付いていくことができず、自分の存在に意味を見い出すことができなくなってしまったのです。現実逃避から部屋に引きこもる生活が続くようになり、その年は休学をすることになりました。
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さらに丸田佳奈さんは、日本大学に入学するまでに2度の浪人生活も経験しています。
もともとご両親やご家族が丸田佳奈さんの医学部受験に反対していたため、なかなか勉強に身が入らない状態だったことに加えて、百歩譲って医学部に行くというのであれば、国公立大学以外は駄目だとの制約もあり、浪人してしまいました。
トラウマとまでは言わないものの、大学受験に対する恐怖心から2度目の大学受験も力を発揮し切ることができず2浪が決定し、3度目の正直で初めて日本大学医学部を受験して見事に合格を勝ち取りました。
2度の浪人、1度の留年、1度の休学を経験して医師になって働き始めた丸太佳奈さんにとってみると、指導医として医学や医療に関する様々なことを教えてくれる旦那さんが光り輝いて見えたのかもしれません。
馴れ初めは病院研修
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丸田加奈さんと旦那さんの馴れ初めは、研修医として働いていたときにまで遡ります。
丸田加奈さんは2009年3月に日本大学医学部を卒業していますが、その後研修医として勤務していた病院に、大学から派遣されて来ていた旦那さんと出会い結婚しました。当時の関係は研修医と指導医という関係でした。複数人の指導医がいた中の1人が現在の旦那さんです。
先ほどもお伝えした通り、丸太佳奈さんは2浪、1留、1休を経験したため、研修医として働き始めたときの年齢はすでに28歳でした。
旦那さんと出会ったときの年齢もおそらく28歳前後だと思われますが、研修医生活が終わる30歳目前に旦那さんとの交際がスタートしました。将来的に結婚は絶対しないと断言するのであれは、お互いにその時間が無駄になってしまうので、付き合うのはやめましょうと言ったその潔さが、旦那さんにとってみるととても新鮮だったそうで、すぐに結婚に至りました。
結婚式には医療関係者がずらり
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丸田佳奈さんと旦那さんの結婚式には、各分野の医師をはじめとした医療関係者がずらりと顔を揃えていたと噂されています。
確かに医療業界は縦のつながりが強い業界ですから、身内だけでこじんまりと結婚式を挙げたいと思っていても、あの人を呼んだらこの人も呼ばないと状態で、最終的には大規模な結婚式になってしまった可能性が高いです。
丸田佳奈の夫の現在の勤務先病院は千葉県内にある大学病院
先ほどもお伝えした通り、丸田佳奈さんの旦那さんは7歳年上の医師で病院に勤める勤務医です。
丸田佳奈さんが研修医として働いていた時期に指導医として大学病院から派遣されてきていたのが現在の旦那さんですので、丸田佳奈さんの旦那さんは現在も大学病院に勤務している可能性が高いです。
丸田佳奈さんの活動拠点は千葉県であることから、千葉大学医学部附属病院、日本医科大学千葉北総病院、国際医療福祉大学市川病院、帝京大学ちば総合医療センター、のいずれかであると考えられます。
丸田佳奈の現在の勤務先病院は愛育レディースクリニック
丸太佳奈さんは現在、総合周産期母子医療センターを併設する愛育レディースクリニックに勤務していす。所在地は千葉県船橋市習志野で、ハイリスクな患者さんを受け入れていて、緊急手術もほぼ連日行われるような過酷な現場ですので、日勤だけではなく当直勤務も多い状態です。
テレビ出演しているときのきらきら感からは一変し、病院で患者さんと向き合っている間は全くメイクをせず、朝から夕方まで外来の患者さんを診ています。緊急の場合は手術を執刀することもありますし、お産で赤ちゃんを取り上げることもあり、昼夜問わず働き続ける日々を送っています。
ただ、日々患者さんとだけ接していると社会人としての視野が狭くなってしまうので、タレント業も並行して行っています。テレビ出演などのタレント業を本格的に始めたのは33歳か34歳の頃でした。タレント活動をするまでは、社会事情に関する知識があまりなく、世の中の出来事をよく知らない状態でした。そんな丸太佳奈さんでしたが、タレント活動を始めて以降は世間の様々なことについて興味を持つようになり、今では帰宅してからニュースを見るなど、情報を得る時間をしっかりと取るようにしています。
医師としての仕事とタレント活動のための情報収集で忙しい日々を送りつつも、丸太佳奈さんは美しさを保つ努力も怠っていません。
丸田佳奈さんは中学1年生の頃に摂食障害(拒食症)を経験したことがありました。当時は安室奈美恵フィーバー全盛期で、世間の同世代の女性がみんなミニスカートを履いていた頃でした。
丸田佳奈さんもその流行に乗ってミニスカートを履きたいとは思っていましたが、当時の丸田加奈さんは身長161.2cmで体重が64㎏あり、母親からは太い脚を出すのはみっともないからミニスカートを履くのはやめなさいと言われてしまいます。それでも諦めきれない丸田佳奈さんは、様々なダイエット方法を試しましたがどれもうまくいかず、最終的には、温野菜しか食べないようになってしまいました。
温野菜しか食べないという食生活になってからは体重がどんどん減っていき、気付いたときにはミニスカートが履けるスリムな体型になってはいましたが、ミニスカートを履くよりも何よりも、体重を下げること自体に快感を覚えるようになっていて、摂食障害(拒食症)になってしまいました。
そんな経験をしかたらこそなのでしょう、30歳になる目前ぐらいにようやく、食べたい物を食べながら体重を維持する方法を見つけました。その内容は以下の通りです。
スポーツジムに週2回のペースで通う
食事は1日3食で、間食はしない
朝は炭水化物や大好物の甘い物を食べて、昼はサラダとスープだけを食べ、夜は好きな物を食べるものの、塩分や炭水化物を避ける
どうしても我慢できずにラーメンを食べたくなったときは、思い切ってラーメン屋に行くようですが、スープは残すそうです。
かつては食べることに恐怖心がありましたが、今では病院勤務で忙しい毎日を送っている丸田佳奈さんのストレス解消法の1つが食事になっているようです。
丸田佳奈と夫の子供は2人
丸田佳奈さんには子供が2人います。2017年1月生まれの女の子で、2024年時点での年齢は7歳です。30歳になる目前(2010年頃)に現在の旦那さんと結婚した丸太佳奈さんですが、妊娠するまでに約7年かかりました。
子供を出産して以降は生活が激変し、近所にご両親が住んでいないため保育園に通わせていたようです。具体的な保育園名は明らかにされていませんが、夫婦共働きでしかも医師ですので、東京都内にある名門の保育園に通っていたのかもしれません。
現在はそのお子さんも小学生となっていますが、具体的な小学校名は不明でした。
また、2024年1月21日に、読売テレビ系で生放送された『あさパラS』に出演した丸田佳奈さんは、密かに2人目を出産していたことを発表していました。性別は不明ですが、いずれはその詳細も明らかになるものと思われますので、情報が発表され次第、こちらのブログに追記していきたいと思います。
医師としての仕事とタレントとしての仕事の両立を図っている丸田佳奈さんですが、そのことに関して旦那さんは特に口出しをすることはなく、やりたいようにやらせてくれています。その分と言っては何ですが、家事は全て丸田佳奈さんがやっているということです。
丸田佳奈の子育てと病院勤務の両立には夫のサポートが必要不可欠
丸田佳奈さんが医師としてはもちろんのこと、コメンテーターとして仕事を継続させることができているのは、ひとえに旦那さんの逆内助の功があるからでした。
テレビのコメンテーターの仕事では、医療分野以外の事柄に関してもコメントを求められることが多々ありますが、そんなときに備えて旦那さんがコメンテーターとしての仕事に役立ちそうな番組を録画しておいてくれるそうです。
またそれだけではなく、予めコメントに必要だと思われる個所にアンダーラインが引かれた資料を準備してくれたりもするそうで、丸太佳奈さん曰く、テレビで何か大きな失敗をしてしまうのではないかと、心配で心配で仕方ないのではないかということでした。
ですが、旦那さんとしては常に自分自身の知識やスキルをアップデートしながら日々チャレンジのつもりで仕事に邁進する丸太佳奈さんをサポートする日常を楽しんでいるということです。
丸田佳奈の実家は北海道で株式会社丸田組を経営
丸田佳奈さんは北海道網走市出身で、15歳まで住んでいた実家は、網走市の中心部から少し離れた新興住宅街にありました。両親と弟と妹を加えた5人家族で、庭には頻繁にキタキツネが来て、家の窓からは流氷が見えるような環境で育ちました。
実家は3代続く建設会社(工務店)を経営しています。会社名は株式会社丸田組で、従業員数は61名、令和2年12月から代表取締役社長を務めているのが、丸田佳奈さんの弟である丸田尚弘さんです。
もともとは父方の曽祖父が本州から移り住んで大工の組を作ったのがその始まりで、その組を丸田佳奈さんのお祖父さんが株式会社にしました。現在は丸田佳奈さんの父親が3代目の社長として会社を切り盛りしていましたが、令和2年12月からは弟の丸田尚弘さんが4代目社長として陣頭指揮を執っています。
母親は網走市から近い北見市の出身で、お母さんの実家も建築関係の会社を経営していました。ですので、丸田佳奈さんの血筋には医療関係者は1人もいません。
そんな丸田佳奈さんが医者を目指した理由は、中学生の頃に半年で14kgものダイエットをしたことが原因で生理が止まったことがきっかけでした。あまりに極端な痩せ方だったため、見るに見かねた体育教師がすぐに病院へ行くようにと促し、母親と一緒に産婦人科に通って治療を始めました。通院開始3年後に無事に生理が戻ったのですが、このときに産婦人科医になりたいと思いました。
若い頃は人一倍苦労した苦労人であるが故に、医師として人の痛みが分かる丸田佳奈さん。医者としての仕事とテレビ出演の両立で忙しい日々を送っていますが、くれぐれも体調管理には気をつけていただきたいと思います。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。