今回は、俳優の本木雅弘さんについてご紹介します。
本木雅弘さんが若い頃に過ごしていた実家は農家で豪農の大富豪だと言われています。住所は圏央道の長屋門だそうですが、実家の様子や生い立ちについて詳しく調べてみました。ただ単なる元アイドルというだけではなく、由緒正しい家柄出身ということで、品や風格を備え持っている理由が判明しました。
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本木雅弘が若い頃に過ごした実家は米農家で豪農の大富豪
本木雅弘さんの実家が米農家で、しかも豪農(多くの土地と権勢を兼ね備えた富裕農家のこと)だという噂があるのですが、本当なのでしょうか。
調べてみると、本木雅弘さんの実家は、江戸時代から15代続く由緒正しい農家であることがわかりました。軽く見積もっても1000年以上でしょうか。
2016年に行われた週刊女性の取材に対して本木雅弘さんは、いざというときは贅沢こそできないものの、コメと土地はあるから食うには困らないという趣旨の発言をしていましたので、相当な豪農であることが伺えます。
芸能リポーターのあべかすみさんと本木雅弘さんは同郷で、あべかすみさんが同じ中学校の先輩にあたるそうです。
あべかすみさんによると、本木雅弘さんの実家はとてつもなく大きくてお金持ちで、母親は見た目こそ着飾ったりはしないものの、着けている宝石はとても高価なものばかりだったということです。
あべかすみさんの母親と本木雅弘さんの母親は、同じ町内会のメンバー同士で、一緒に旅行に行ったりする間柄だそうですので、本木雅弘さんの実家が相当なお金持ちだという情報の信ぴょう性はかなり高いと言えます。
ちなみに本木雅弘さんは幼い頃、同じ大きな家なら、どうしてヨーロッパの王子様に生まれなかったんだろうと思っていたそうです。かなりのブルジョア発言(笑)
本木雅弘さんは3人兄弟の次男ということですので、実家は現在長兄が後を継がれているものと思われます。
本木雅弘の実家の住所は埼玉県桶川市で圏央道近く!長屋門造造り
出典:fujitv-view.jp
本木雅弘さんの実家は、埼玉県桶川市の圏央道沿いに位置しています。
先ほどもお伝えした通り、実家は由緒正しき地元の名士であり、かなり裕福なのですが、それは家の造りにも現れていました。その造りとはずばり、長屋門です。
長屋門はもともとは諸大名の城郭、陣屋、武家屋敷門として生まれた建築様式で、その多くは江戸時代に建てられました。
用途としては、諸大名が自分の屋敷の周囲に家来専用の長屋を建てて住まわせていましたが、その一部に門を開いて一棟としたのが長屋門の始まりです。
当初は武家屋敷にだけに見られた長屋門ですが、その後、苗字帯刀を許された富裕な農家や庄屋でも建築されるようになり、明治期以後は他の富農の家屋敷にも見られるようになりました。
本木雅弘さんと、長男であるUTAこと内田雅樂さんの長屋門をバックにした2ショット写真が話題を呼んでいました。
この写真を撮影するにあたって、本木雅弘さんは、親子共演に対して相当恥ずかしい気持ちがあったようですが、長らくCMでお世話になっているサントリーのお願いということで引き受けたそうです。
一方で、息子のUTAさんは、幼い頃から背中を負い続けてきた父親と一緒にCM出演できるということで、今後の芸能活動に対して身が引き締まる思いだったそうです。
本木雅弘の若い頃の生い立ちや教育方針が圧巻!実はコンプレックスも
出典:jisin.jp
本木雅弘さんは若い頃、自分自身が田舎出身だということに対してコンプレックスを抱えていました。
本木雅弘さんの父親は農業高校卒業後、14代目として農家を継いだことから、当初は本木雅弘さんにも何らかの形で農業に携わってほしいと考えていた時期もあったようです。
しかし、当の本木雅弘さんにはそんな気は全くなく、小学校2年生の頃には、将来は喫茶店のマスターになるという夢がありました。
江戸時代から代々続く家柄ですので、当然教育方針は質実剛健だったのかと思いきや、意外とそうでもなく、比較的自由な教育方針だったようで、本木雅弘さんは中学3年生の頃に自分でジャニーズ事務所に履歴書を送っています。
長男が家を継ぐものという考え方が田舎では浸透していますので、本木雅弘さんの心の中でも自然に、いつかは自分は実家を出なければならいという気持ちが宿っていたのかもしれません。
本木雅弘は若い頃に実家がある埼玉県と桶川市からダブルで受賞
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本木雅弘さんの代表作と言えば、自身が主演を務め、2009年にアカデミー賞外国語映画賞を受賞した映画『おくりびと』ですが、アカデミー賞のレッドカーペットで、インタビューに対して流暢な英語で答えていたシーンはとても印象的でした。
おくりびとでの活躍が評価され、2009年3月20日には埼玉県民栄誉章を受章しています。と同時に、生まれ故郷である桶川市からも、桶川市民栄誉賞が贈られました。
埼玉県民栄誉賞と桶川市民栄誉賞のダブル受賞について、本木雅弘さんは、これまでで一番の親孝行になったと語っています。
その際に普段口数の少ない父親から手紙が送られてきて、その中には最高の幸せをありがとうと書かれていました。
普段は凛々しい表情を崩さない本木雅弘さんですが、この時ばかりは少し照れ臭くもあり、誇らしくもある表情をしていました。
桶川市民栄誉賞の授賞式では、若い頃は桶川市の田舎で育ったことに対するコンプレックスがあったけど、今では生まれ故郷の温かさがよく分かるようになった。自分をここまで育ててくれた桶川市に感謝しているとう旨のスピーチをし、会場に詰め掛けた関係者の中には、目に涙を浮かべている人もいました。
本木雅弘が若い頃に旧ジャニーズ事務所を円満退社できたのは実家のおかげだった
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シブがき隊が人気絶頂期を迎えていた1988年に、突如解散が発表され、あまりに突然の出来事でショックを受けたファンは非常に多かったです。
世間の人気とは裏腹に、本木雅弘さんを含めたシブがき隊のメンバーの中には、やり切った感と、自分たちがジャニーズアイドルとしての役目を終えたという気持ちが宿っていたのです。
とはいえ、これまで最前線で活躍していた状態から一転、表舞台から姿を消すことに対して、本木雅弘さんは抵抗感や違和感はなかったのでしょうか。
本木雅弘さんは当時のことを振り返りながら、以下のようなコメントを残しました。
・シブがき隊時代から、音楽活動以外にもバラエティやドラマの仕事もしていたことから、ジャニーズアイドルから次の仕事への移行がとてもスムーズに行えた。
・幼い頃からゆったりのびのびと育てられたため、元来争いごとが嫌いだったため、ジャニーズ事務所とは一切トラブルはなく、文字通りの円満退社だった
いざというときには育ちが出ると言いますが、まさに本木雅弘さんのエピソードが見事にそのことを物語っていますね。
ジャニーズ事務所を退社して以降、これまで以上に飛躍し、現在まで活躍を続けることができている理由の1つに、本木雅弘さんの実家や生い立ちが影響していることは紛れもない事実です。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。