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今回は、漫才師の里見まさとさんについてご紹介します。
漫才ブームで売れたザ・ぼんちですが、ブームが過ぎ去った後に極度の経済苦に陥ったことがありました。すでにその頃には家族がいたため、家族全員路頭に迷いそうになったときに、窮地を救ったのが奥さんでした。また、里見まさとさんがパニック障害になったときにも家族を救ったのは奥さんでした。里見まさとさんの嫁はどんな人なのでしょうか。
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里見まさとの嫁は経済苦を支えた立役者
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漫才ブーム前に売れ始め、漫才ブーム到来とともに大ブレイクを果たしたザ・ぼんち。さぞかし恵まれた生活をしてきたかに思われましたが、里見まさとさんは漫才ブームが過ぎた後にかなり生活が苦しくなった時期があったそうです。
ザ・ぼんちの興隆は1970年代末から始まりました。漫才師と言えばスーツを着て舞台に立つのが通常ですが、ザ・ぼんちは異色のアイビー・ルックで、若者の人気を獲得していきました。
漫才で人気を不動のものとした後は1981年1月1日にデビューシングルとなる『恋のぼんちシート』を発売し、瞬く間に大ヒットし、漫才師ながら歌謡番組にも出演するなど、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍していました。
漫才師としては史上初となる武道館コンサートも開催され、1981年は”ザ・ぼんちで明け、ザ・ぼんちで暮れた”と言われるほどの売れっ子ぶりでした。
ところが、漫才ブームが3年ほどで下火となって以降は名だたる漫才コンビが解散していき、ザ・ぼんちも1986年に解散してしまいました。結成してから14年後の出来事でした。
ザ・ぼんち解散後、里見まさとさんは俳優業に挑戦するなど、新たな活動域を模索してはいましたが、当時の月収は7万円程度にまで落ち、家族が食べていくにはあまりにも少ない額でした。
頂点から一気にどん底に落ちた気分になり、一時期は自殺したらどれだけ楽かと思い、父親の墓前で泣いたこともありました。
そんなときに常に心の支えとなってくれたのが奥さんでした。月収が少ない中でも何とか上手くやりくりをして、家族全員が困らないように工夫をしつつ、気分が落ち込んでいた里見まさとさんに対しては、これまでの成功は決して運ではなく本人の実力であることを伝え続け、何とか里見まさとさんのメンタルを維持しようと必死になってサポートしてくれました。
その懸命なサポートが実を結び、里見まさとさんは亀山房代さんと出会い、新たに漫才コンビ里見まさと・亀山房代を結成し、結成9年目の1997年に読売テレビの第26回上方お笑い大賞の金賞を受賞、翌1998年には第33回上方漫才大賞を受賞するなど、大成功を収めることができました。
現在は当時と比べ物にならないほどの漫才師が活躍していますが、1人の漫才師が2人の相方で成功した例は里見まさとさんを置いて他にはいないと言われています。
それもこれも、どん底の時期に奥さんの献身的なサポートがあったためだというのは言うまでもありません。
馴れ初めはディスコ
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里見まさとさんと奥さんが出会ったのはディスコでした。
出会ったのは1977年のことで、里見まさとさんの年齢は25歳、奥さんの年齢は19歳でした。歳の差は6歳で奥さんの方が年下です。
その日が初対面だったのですが、奥さんを見て一目惚れした里見まさとさんは、何とか奥さんを気を惹こうと必死になり、加山雄三さんや橋幸夫さんのものまねをして距離を近付けていきました。
何事にも積極的な里見まさとさんですので、奥さんとの出会い方にも納得しかけてはいたのですが、よくよく調べていくと、奥さんとの出会いがディスコで6歳年下なのは里見まさとさんではなく、相方のぼんちおさむさんのことでした。
里見まさとさんと奥さんの馴れ初めや年齢、職業に関しては一切公開されていませんが、今後何か新しい情報が見つかり次第、こちらのブログに追記していきたいと思います。
子供が2人いる
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里美まさとさんと奥さんの間には子供が2人います。
長男はJR大阪駅のほど近くにある新梅田食堂街の居酒屋・大阪屋という立ち飲み屋のオーナーで、長女は画家で、ニューヨークを活動拠点としているとの噂もありますが、これは全て里見まさとさんではなく、相方のぼんちおさむさんのお子さんに関する情報です。
奥さんと同様に一般人ですので、詳細は一切明らかにされていないのですが、また何か新しい情報が入り次第、こちらのブログに追記していきたいと思います。
里見まさとの嫁は旦那のパニック障害の克服に尽力
里見まさとさんがパニック障害を発症したのは50歳のときでした。
2001年8月に、当時の相方だった亀山房代さんが妊娠したことをきっかけに漫才コンビ里見まさと・亀山房代を円満解散した後すぐに、吉本興業からぼんちおさむさんともう一度コンビを組まないかとの誘いがあり、2002年にザ・ぼんちを再結成しました。
里見まさとさんの心の中では漫才をしたいという気持ちがあり、10年先のことを考えて吉本興業からのオファーを引き受けて再結成したのですが、ぼんちおさむさんとの漫才は久しぶりであったこと、充分な稽古ができなかったことから、再結成した後の3年~4年は不本意な漫才をしていました。
このままではいけないと思いつつもどうしようもできないもどかしさからストレスを溜め込んでしまい、パニック障害を発症してしまいました。
奥さんは漫才を終えて家に帰ってきた里見まさとさんの話をじっくりと聞き、今すぐにどうこうしようとするのではなく、長い目で見てぼんちおさむさんと相談し合いながらやっていくことを提案しました。
奥さんからの提案を聞いてかなり気持ちが楽になり、今では漫才を楽しめるようになったと里見まさとさんは語っています。
里見まさとと嫁の夫婦仲
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里見まさとさんと奥さんが結婚した時期は定かではありませんが、少なくとも漫才ブームの頃にはすでに4人家族になっていたことを勘案すると、遅くとも1970年代中頃から終わり頃には結婚していたものと思われます。
結婚して40年以上の月日が経過し、途中で子供の教育方針や家計のやりくりを巡って小さな喧嘩はたくさんあったものと想像できますが、トラブルが起こる度に夫婦で話し合いを行いながら、お互いの意見を伝え合うことで不満を蓄積させないようにしてきました。
また、里見まさとさんは異性を巡って浮いた噂がないことから、夫婦関係は常に安定していました。
里見まさとと嫁が離婚する可能性
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里見まさとさんのお笑いセンスや高いポテンシャルが現在の成功をもたらしていることは言うまでもありませんが、漫才ブームが下火になりコンビを解散せざるを得なくなったときも、再結成をした後鳴かず飛ばずだったときも、パニック障害に陥ってしまったときも、常に傍で見守って話を聞いてくれた奥さんのサポートも必要不可欠な要素であるとも言えます。
そんな奥さんに対して里見まさとさんは頭が上がらないそうで、感謝の気持ちを忘れずに毎日を過ごしています。
先ほどもお伝えした通り、里見まさとさんと奥さんの夫婦関係は安定していますので、今後2人が離婚する可能性は極めて低いものと考えられます。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
ぼんちおさむの嫁は一般人で馴れ初めがチャラい!現在の夫婦仲に見習うべき点あり