今回は、女優の裕木奈江さんについてご紹介します。
1990年代にドラマやCMで大活躍していた裕木奈江さん、実は若い頃にバッシングを受けたことがありました。バッシングの原因は秋元康さんだったとのことなのですが、果たしてその詳細は!結婚と離婚を経て現在は独身を謳歌中の裕木奈江さんに迫ってみました。
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裕木奈江の若い頃のバッシング原因は秋元康だった
裕木奈江さんと言えば、1990年代にアイドル顔負けの人気で世間を席巻した女優さんで、出演した代表的なドラマには、『北の国から’92巣立ち』や『ポケベルが鳴らなくて』があります。
ただ、裕木奈江さんがドラマの中で演じた役はいずれも好印象な役ではありませんでした。
『北の国から’92巣立ち』では、主人公の純(吉岡秀忠さん)と肉体関係になり子供を妊娠し中絶する役、『ポケベルが鳴らなくて』では、友達の父親(緒形拳さん)と不倫関係になり家庭をかき乱す役を演じました。
いずれも迫真に迫る演技で、毎シーンごとに視聴者を釘付けにしたのですが、一方では、女の敵だ、ぶりっこだとのバッシングを受けることにもなりました。
女優として与えられた役柄を演じていた裕木奈江さんでしたが、実は役柄の設定や台本内容に関して、裕木奈江さんの所属事務所IMADOKIとドラマ制作サイドの間に摩擦があったという噂も出回っていました。
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この影響はドラマ収録の現場にも出ていて、成田で行われた『ポケベルが鳴らなくて』の最終回ロケには参加しませんでした。オンエアでは主演女優が不在で、全シーンに渡って代役が吹き替え撮影し、後ろ姿や顔が映らないシーンばかりが放送されるという、前代未聞の事態となりました。
その後、裕木奈江さんの所属事務所と制作側との間で肖像権侵害やギャラ未払いなど訴訟合戦が展開され、良い調子だったドラマに水を差す結果となってしまいました。
これら一連の動向に対して心中穏やかでなかったのが秋元康さんでした。
ドラマの原案と企画を担当したのは秋元康さんだったのですが、実は裕木奈江さんの楽曲『この空が味方なら』の作詞を担当したのも秋元康さんでした。
『この空が見方なら』をオープニング曲にするのもエンディング曲にするのも秋元康さんの匙加減1つだったとの噂もあるほどで、エンディング曲の変更は、ドラマを事務所と制作側の訴訟によってかき乱されたことに対する報復措置だと考えることもできます。
秋元康の逆鱗に触れてしまった
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先ほどもお伝えした通り、『ポケベルが鳴らなくて』の原案と企画を担当したのは秋元康さんだったのですが、秋元康さんは裕木奈江さんのことを相当高く評価するとともに、お気に入りでもありました。
裕木奈江さんをヒロインに抜擢したのも秋元康さんで、女優としての演技力にも歌手としての表現力にも一目を置いていたとされています。
しかし一方で、プライベートでは秋元康さんが裕木奈江さんに対して男女の関係を要求したこともあると言われていて、裕木奈江さんがその要求を断ったことが秋元康さんの逆鱗に触れて、週刊誌に対して圧力がかかり、前述したようなバッシングが始まったとの噂もあります。
あくまで噂の域を脱してはいない情報ですので信憑性は定かではありませんが、プロデューサーとアクターの間でそのような関係が存在していたとしたら、それは由々しき事態です。
大バッシングを受けた根源と内容がヤバい
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裕木奈江さんは、1980年代末に映画女優としてデビューした後、1992年にはフジテレビ系で放送されたドラマ『北の国から’92巣立ち』で一躍注目を浴び、特に男性からの人気を不動のものとしました。
まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍していた裕木奈江さんがバッシングを受けたのは、1994年3月でした。女性に嫌われる女性タレントとして、マスコミから受けたバッシングは壮絶なものでした。
当時の裕木奈江さんは、山田洋次監督の映画『学校』でアカデミー賞優秀助演女優賞・新人俳優賞を受賞し、今後も更なる活躍が期待されていました。
ところが、複数の雑誌社が読者からの声と題して、裕木奈江さんにとってマイナスにしか取れないような情報を掲載したのです。どれもこれも辛辣な内容で、男にこびたような目が鼻に付く、上目遣いの表情がイライラするなどといったものでした。
マスコミもその声に乗じて、嫌われる女ナンバーワンとまくし立てたのです。
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バッシング報道を始めたのです。
大きな顔写真を添付し、人相学的に見て裕木奈江さんの性格を、トラブルを起こしやすい性格で、機が強く頑固だと分析していました。
この記事に対して、単なるひがみに過ぎない、同棲から嫌われるのはスターの証との擁護の声も上がっていたのですが、若い裕木奈江さんにとってみるとバッシングは想像以上にダメージが大きかったようです。
当時の裕木奈江さんは、JRAのCMで高倉健さんと共演するなど他の若手女優とは一線を画していて、様々なスポンサーから引っ張りだこ状態でしたが、バッシング騒動が出て以降、急速にに支持を失い、状況が一変してしまいました。
CMやドラマの出演数が激減し、1994年後半からはテレビ出演がほとんどなくなり、コンサートツアーを中心とした活動を行っていました。もちろん、これまでの収入の柱はテレビ出演によるものでしたので、収入が激減したのは言うまでもありません。
芸能界を干された本当の理由が壮絶
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裕木奈江さんが芸能界を干された理由として挙げられているのは、世間(特に女性)からのバッシングによってイメージダウンしたことですが、この件について詳しく調べてみると、芸能界特有の事情が浮かび上がってきました。
当初、ドラマ『ポケベルが鳴らなくて』の主題歌を歌うのは裕木奈江さんの予定だったのですが、裕木奈江さんと秋元康さんの間に不穏な空気が流れていることを察知した国武万里さんの所属事務所だったメルダックが秋元康さんを口説き落とし、主題歌担当の座をもぎ取ったのです。
また一方で、裕木奈江さんにも非があったようで、遅刻やドタキャンに加えて、先輩女優に対する無礼な振る舞いなど、話題には事欠かなかったと言います。
当時から芸能界で力を持っていた秋元康さんの逆鱗に触れた上に、先輩芸能人や現場スタッフに対する振る舞いがなっていなかったとすれば、そのまま芸能活動を継続していくのは至難の業だったと想像できます。
裕木奈江は若い頃にヘアメイクーティストと結婚していたが離婚した
ドラマの現場スタッフから「わがままで次回は使いたくない」などの苦情が続出し、ドラマ放映後に所属事務所とドラマ制作会社との間で勃発したトラブルなど、様々な影響で仕事が激減した裕木奈江さんは、1999年にアヌード写真集を発売しました。
そして、写真集を発売した1999年に、撮影スタッフだった11歳年上のヘアメークアーティストと略奪婚をしたことで、またもや女性から様々なバッシングを受けることになりました。その当時の裕木奈江さんの年齢は29歳、旦那さんの年齢は40歳でした。
失意の末に決断したのは、旦那さんと一緒にロサンゼルスに渡米することでした。渡米後は、文化庁の新進芸術家海外研修制度を使ってギリシャ留学をし、語学と演技の勉強をしました。
アジア系で容姿が端麗で女優経験があるという特性がクリント・イーストウッド監督の目に留まり、2006年に公開された映画『硫黄島からの手紙』出演につながりました。
裕木奈江さんの夢を実現させるための姿勢は、若い頃から一貫してブレがありません。ここには、裕木奈江さんが育った家庭環境が大きく影響していました。
裕木奈江さんは生まれた直後に両親が離婚しすぐに母親が再婚したため、母方の祖母が裕木奈江さんを養女にして育てました。
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明治43年生まれの祖母は美容師として生計を立てていたのですが、裕木奈江さんの将来を心配し、大人になったら芸者にさせようとしたこともあったようです。
実際に芸者にはならなかったものの、芸能界で女優として活動するきっかけを作ってくれたのは外ならぬ祖母の影響が大きかったことは間違いありません。
略奪をしてまで結婚した裕木奈江さんでしたが、ギリシャ留学やハリウッド映画に出演したりするなど、女優としての経験を重ねていくうちに旦那さんとの間に価値観のズレが生じたのでしょうか、結婚してから10年後の2009年1月に離婚しました。
裕木奈江は現在独身を謳歌中
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裕木奈江さんは結越して渡米したことがきっかけで国際的な視点を身に着けることができ、2015年にはスイスに移住しました。ただ、それ以降ずっとスイスに定住しているわけではなく、トランク1つで世界中を飛び回る生活をしてきました。
これまでに訪れたのは、スイスに加えて、アリゾナ、アイスランド、チェコ、メキシコ、ギリシャで、カメラを持って点々としていて、訪れた先で新しい価値観と出会うことがとても楽しいと語っていました。
現在は、ドラマや映画や舞台等の女優業はほとんど行っておらず、2018年3月12日に立ち上げたYouTubeチャンネル(Nae Yuuki)上でライブを行いながら視聴者からの質問を受け付けたり、何気ない日常の様子をアップするなどしています。2023年12月末時点でのチャンネル登録者数は7440人、動画総数は122本となっています。
テレビ離れが年々加速している昨今ですので、今後はYouTube上で活躍していこうと考えているのかもしれませんが、現時点ではどちらかと言えば女優業というよりもプライベートの充実に重きを置いている印象で、独身生活を謳歌しているといったところでしょうか。
裕木奈江が結婚(再婚)する可能性
裕木奈江さんがギリシャに留学していた際、19歳の男性から突然告白されたことがありました。この時の裕木奈江さんの年齢は40歳でしたので歳の差は11歳。旦那さんと離婚してから2年しか経験していなかったことと、女優業に専念したいとの気持ちが強かったことから、お相手の男性には丁重に断りのコメントを伝え続けました。
それでも初めのうちはなかなかすんなりとは受け入れてもらえず、お相手からの猛アピールが続いたのですが、最終的には裕木奈江さんに根負けしてしぶしぶ諦めてくれました。
かなりのイケメンだったということですので、逃した魚は大きかったのではないかとも思いますが、その当時も今も結婚願望はほとんどなく、今の生活を大切にしていきたいとの思いが強いようです。
ですので、裕木奈江さんが今後結婚する可能性は低いものと考えられます。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。